羽生結弦の日本人(アップダウン構造)意識を讃える
羽生結弦君をこの文章で褒め讃えたいのは、その容貌スタイルではない。彼の心持ちである、日本人としての意識である。
羽生結弦の100点超えと金メダル
ソチ・オリンピックで2月13日、日本の羽生結弦君(19才)が、フィギュアスケート史上初の100点を越える得点をだし、世界を驚かせた。
私同様に、フィギュアスケートの得点は100点満点であろうと漠然と考えていた人も多いと思う。それが何と100点を超えてしまったのだから、いや驚いた。
続く2014年2月15日、羽生結弦選手は日本の男子五輪フィギュアスケート史上初の金メダルを獲得した。
「羽生結弦は武士のようだ」と評する人もいるように、彼のやわらかな面立ちの中には凛とした気品が感じられ、こんな可愛い息子がいたらどんなに嬉しいかと思ったお母さんがたも多いことであろう。
中国では、若い女性たちが、羽生結弦君の熱烈なファンとなっているとか。我が家のカミさんも、結弦君のスタイルのよさにしきりに関心していた。
私が、羽生結弦君をこの文章で褒め讃えたいのは、その容貌スタイルではない。彼の心持ちである、日本人としての意識である。
羽生結弦は、真実の日本人
羽生結弦は、真実の日本人である。
彼が金メダルの表彰台に上る時、一礼したことに気付かれたであろうか。
ズカズカと表彰台に上がるのではなく、一礼して上がる。
これこそ正に、日本人の姿ではないか。
羽生結弦君はまた、練習場のリンクに入る際にも、一礼して入るとか。
この一礼行為に対して、何に対して一礼するのかと問うのは、日本人からすれば全く野暮な問いかけである。
私は学生時代に合気道に明け暮れた。武道稽古をする日本人は、何の武道であれ、道場の出入りに際しては一礼して入り、一礼して出るのである。
私の大学は国立大学であったので、武道館に神棚などもうけられる筈はない。神棚その他の礼拝の対象は、武道館には一切ないのであるが、私達は道場そのものに敬意を表して、一礼して出入りしていたのである。
また稽古のはじめに当たっては、全員整列して一方向に向かい、その方向を「正面」と呼んで「正面に礼!」を捧げた後に稽古に入るのである。
「正面に礼」とは、まことに日本人のアップダウン意識を表した行為でないか。
羽生結弦君は、その心を素直に表して、表彰台に一礼したのである。
これは、ナントカの神様に対して礼、ではないのです。
武道修行者が道場の正面という無色透明なるものに礼を捧げるのと同じく、羽生結弦は表彰台という無色透明なるものに礼を捧げたのです。
少し内容はずれるかも知れないが根底において繋がるであろうと思うことは、西行法師が伊勢神宮を参拝して、次の一首を残したことである。
何だか分からない、分からないけどかたじけない。何だかわからない、分からないけど有難いのである。それを感じることのできるのが、日本人ではないか。
日本人の意識のアップダウン構造は、尊いものをアップダウン構造の奥に隠して表面的に自覚しない。自覚しないのであるが、アップダウン構造によって奥の尊い存在と繋がっているが故に、日本人らしい行動所作が現れる。
西行法師の一首は、日本人のアップダウン意識をまことにうまく表現している。
「何事のおはしますかはしらねども」、自然に表彰台に一礼し、リンクに一礼する羽生結弦君は、真実の日本人ではないか。
彼はまた、国家「君が代」をきちんと歌い、国旗と日本国に対する深い敬意をその行動によって表現している。
これもまた、彼を褒め讃えたい点である。こういう若者が出て来るということに、私のような老生はまことに安堵を覚えるのである。
日本語アップダウン構造の解説文として、羽生結弦君を讃える一文を加える所以である。