感想7・戦後教育とキリスト教のトラウマから解放されて

日本語は神である・読者感想文 感想文の作者・大江富久子さんは、大阪市にお住まいのお方。戦後教育で愛国心をもぎ取られ、中学校からはカトリック系の学校で日本人でありながら日本人をバカにするような精神構造を植え付けられて、それが長くトラウマとなっていたそうです。
 戦後教育というのは、本当に日本人の精気を根こそぎ消し去ってしまおうとするものですね。
 大江さんからおよそ10年前のFAX(2003年4月23日)でお寄せ戴いた感想文には、鈴木孝夫氏の著書や私の『日本語は神である』などをお読みになり、次第にトラウマから解放されるつつあるとの文言がありました。そのFAX文を先ず拝読いたしましょう。
 次に最近のメール(2014年2月22日)では、元東大史料編纂所教授・酒井信彦氏との出会いにより、「それまで誰にも分かってもらえなかった気持ち(トラウマ)が瓦解した」そうであります。そのメールをもここに掲載させて戴きます。
 大江さんが日本人の心を取り戻されたというプロセスの一コマに日本語との関わりがありましたこと、有難く存じます。では、およそ10年前の大江さんの感想文と、現在のご心境メールとを拝読いたしましょう。
酒井信彦の日本ナショナリズム

戦後教育とキリスト教で、愛国心は罪と教えられたトラウマが(大江富久子)

戦後教育とキリスト教で愛国心は罪と教えられ

(この文章は、2003年4月23日付けFAXでいただいたものです。)
 御著書を拝読してから、それまで何となく使っていた日本語が急に重要な意味を持ち始めました。同時に、日本に対してややもすると絶望的になある時に「いや、大丈夫なんだ!!」と気を取り直すことが出来、気持ちが大変ラクになれるようになったことは大きな収穫でした。

 私は慶応大学の鈴木孝夫先生のファンで、以前から先生のものを読ませていただいていました。最初に出会った本は『武器としてのことば・茶の間の国際情報学』でしたが、昌原様はお読みになりましたでしょうか。
 私はその本と出会った時、「言葉を愛するということは祖国を愛すること」なんだと自覚することができ、同時に日本人であることに誇りを持つことが出来ました。

 私達、戦後世代は、自分の国を愛することが罪であるとたたき込まれてきました
 しかも私の場合、中学校からカトリック系の女学校に入れられたため、およそ愛国心とはほど遠い、西洋礼賛の教育を受け、日本人でありながら日本人をバカにするという恐るべき精神構造を植え付けられました。これは西洋キリスト教の犯罪です。
 その影響は今現在もなお、私にとってトラウマになっているのですが、幸い私の場合、いろいろな方々のお蔭で愛国心を取り戻すことができ、ようやくトラウマから徐々にではありますが解放されつつあります。

 しかし、残念ながら、私の学友たちは、私の知る限りではみんなトラウマがあることにすら気付かず、まるで浮草のようにフワフワと、根も葉もないプライド(?)をひっさげて五十代の半ばまでさまよい歩いています。
 人間の尊厳とは何かを教えられなければ、本当にみじめな一生を送らなければなりません。もっとも本人がみじめと自覚できれば・・・の話ですが。
 つまり、アップダウン構造の日本語を卑下し、ショートカット構造の英語を崇拝している人達です。英語が出来ることが偉いという単純な発想をいまだに捨てきれない人達です。

 先日、加古川市内の由緒ある神社の発行している情報誌で、神道講座があることを知り、一度門をたたいてみようかなと思っています。
 御礼かたがた、おしらせまで。乱筆乱文お許しの程を。。
大江富久子 

 次に、大江さんから戴いたメールの文章【平成26年(2014年)2月22日】を彼女の許可を得てここに掲載いたします。

人生終盤で人格改造ができたこと・・・

【平成26年(2014年)2月22日】
昌原 様 
 お便りありがとうございます。大変思いがけないことで驚いています。
 その後、約十年の間、お話すれば長くなりますが、神道の学びをはじめとして多くの学びがありました。
 恐らく十年前の自分と今の自分は別人と言っても過言ではないかと自認できます。
 昔は人生五十年と言いましたが、五十も半ばを過ぎてから今六十も半ばを過ぎ、遅咲きも遅咲き、終盤においてここまで人格改造できたことは、自分で言うのもアレですが、奇跡に近いことと思えます。
 そのきっかけを作って下さったこと、心より感謝いたします。

 その後の具体的な歩みとしましては、加古川日岡神社・神戸生田神社の神道講座、神社の伝統行事への参加、日本会議への入会、朝日新聞から産経新聞への変更、北朝鮮拉致ブルーリボン運動への参加、皇位継承に関する書籍を執筆された方の原稿校正、様々な歴史研究…等々 

(昌原註:この活動の一つひとつに、大江さんの人生のベクトルが窺えるように思われます。「日本人としての在り方を取り戻す」とでも表現できるでしょうか。)

 中でも私個人の問題としてキリスト教やカトリック教会とトラウマに関して特筆すべき出来事がありました。
 それは恩寵とも言えることかと思いますが、元東大史料編纂所教授・酒井信彦先生との出会いでした。
 ご存知かと思いますが、先生は中国のチベット問題をはじめ、キリスト教とりわけ日本のカトリック教会への厳しい見解を論文や講演を通して述べてこられました。その内容につきましては、ネット「酒井信彦の日本ナショナリズム」でご覧になることができます。

 先生との出会いにより、それまで誰にも分かってもらえなかった気持ち(トラウマ)が瓦解したのです。「何故この人は私の気持ち、疑問、モヤモヤが分かるのだろう・・・?」という不思議です!昌原様にもご経験がおありだと思いますが、人生にはこういう不思議があるのですね。
 それを期に、私は精神の不安定から解放され、前に進むことができるようになりました。
 ここでひとつ言えることは、そこへ至るまでに良きにつけ悪しきにつけどれほど多くの方々のお陰を得てきたか、ということだと今感謝をもって振り返ることが出来ます。
 なお付け加えますと、鈴木孝夫先生が姫路に来られ、お会いすることができたことも嬉しい思い出となりました。
大江富久子 

昌原から一言:
 戦後教育とキリスト教によって、日本を愛することが罪であるという感覚を植え付けられてきたのは、よく理解できます。私も小学校の社会の時間が嫌でした。

 でもそういうトラウマを植え付けられた大江さんが、日本人の誇りを取り戻されたのは、日本語の力ですね。鈴木孝夫氏の日本語論も、日本人に力を与えてくれる良書ぞろいです。アップダウン構造は、もちろん日本人の自覚を取り戻すために書いた物であります。

 こういう感想文を読みますと、逆に、日本語と、日本国土と、日本人が、とてもいとおしく感じられてきます。

 最初にFAX感想文を戴いてから約10年後の今、酒井信彦氏との出会いも大きく作用して、大江さん自身のお言葉によれば、人生の「終盤においてここまで人格改造できた」という「奇跡に近いこと」を成し遂げられました。

 若いですねえ。若さというものは、肉体年齢ではないのですね。道を求めて精進するところに不断の進歩があるのでしょう。

 これは拙著の感想文というよりは、一人の人間の魂の遍歴の過程を記した経験談として拝読させていただきましょう。
 大江さん、貴重な経験談を、どうもありがとうございました。