(10) 日本のもの作り一景:酒造り
1.造り酒屋の若女将から電話が
1-1. 酒造りそのものが祭りになっている亀田酒造
造り酒屋の若女将から電話を戴きました。
ブログ「日本酒こそ日本文化」で、「寿萬亀(じゅまんがめ)」という大吟醸酒を取り上げ、蔵元へメールを差し上げた所、それに応えての電話でありました。
この寿萬亀(じゅまんがめ)は、まことに驚くべき酒でした。房総在住の知人からこの寿萬亀(じゅまんがめ)を送って戴き、封を切って驚いたのです。
酒の格が違う!
私はキネシオロジーの応用法を修練した結果、私独自の方法を用いてモノの意識指数を計測することができるようになりました。
そこで、寿萬亀の意識指数を計測して、またまた驚きました。あまりにも数値が高いのです。
蔵元・亀田酒造のホームページには、、
宝暦年間、山伏によって白酒が造られ 神に供えられたことから酒造りが始まりました。
爾来、240年間にわたり、伝統の酒造りが続けられ今日に伝えられてきています
と記載があります。
また、寿萬亀は「明治神宮に献上する全国唯一のお酒」であり、「愛子さまご誕生の振る舞い酒」として、「紀宮様ご結婚の振る舞い酒」として用いられたそうであります。
なるほど、よくわかります。
若女将との電話で、酒造りにあたっての祭事などをなさっているのですかとおたずねした所、特にそのようなことはしてはいないとの返事でした。
なるほど、それもよくわかる。
つまり、本当の祭りというのは、神官を呼んでお供えをしてというような形にあらわれるのではなく、酒造りそのものが祭りになっているのでしょう。
そこまで辿(たど)り着いてこそ、本当の酒造り、もの作りといえるのだと思います。
1-2. 最近の食品業界の不祥事
最近、食品業界の賞味期限改ざん等の不祥事が続いておりますが、もの作り日本の誇りはどこへ消えてしまったのでしょうか。
人に見られていないから、少々の不正は行って差し支えないと思う心が浅ましい。その心でもの作りなどできるものですか。
物は物質ではありません。
人間は、心という「もの」、生命(いのち)という「もの」を戴いている筈です。
心という「物質」、生命(いのち)という「物質」を戴いているのではありません。
古来、日本人は、物を物質とは観ていなかったのです。
ところが、そういう日本人の心が、今や消え去るかと思えるほどに、食品を巡る不祥事が相次いでいます。
他国の食品をとやかく言えることもできかねそうですね。
2.フランスでパン作りに感心する
2-1. 町一番のパン屋
若い頃、フランスはパリの東、アンジェという町に一月ほど滞在したことがありました。
朝食は、その町一番のパン屋であると友人が勧めるパン屋さんで毎朝パンを買い求めて、ドンブリほどのカップにコーヒーとミルクをみたし、バターを塗ったパンを浸して食べるのです。
これが、本当においしいのです。
それだけで、充分に満足できるほど、パンがおいしいのです。
ところが、その町一番のパンやさんでパンを入手できない時があり、別の店のパンを食べてみたことがあります。
全然、味が違います。
また、パリのレストランで、無料で籠に盛って出してくれるパンなど、何の味もありません。
なぜ、アンジェの町一番の店のパンはあんなにもおいしいのか。
その秘密は、”酵母(イースト)を使っていない”からでした。
いいえ、書き間違いではありません、その店では酵母を使っていなかったのです。
2-2. 酵母を使わずにパンを焼く
私は、自宅で2日置きにパンを焼いています。
パン焼き器に材料を入れ、粉末イーストを入れて、焼くのですが、時たまイーストを入れ忘れることがあります。
当然、パン種は膨らまずに、何とも表現できない小麦粉の塊になってしまいます。
イーストを入れずにパンを焼くことなど不可能でしょう。
不可能・・・・・・・・・・。
でも、アンジェの町のパン屋さんは、不可能を可能にしていました。
イーストを入れずにパンを焼いていたのです。
その秘密は、パン焼きの工場にありました。
創業200年のその店は、地下にパンを焼く工場があるのですが、200年という長年月にわたって、おいしいパンを焼き続けた結果、工場全体に良質のイースト菌が住み着いて、工場全体がイースト菌に包まれているのです。
そこで、わざわざよそからイースト菌を持ってこなくとも、パン焼きの聖地と化した工場に住み着いているイースト菌が働いて、ふっくらとしたパンが焼き上がるのです。
まさに、パン焼き道至極の一点に到達したと申し上げてよいパン屋さんでありました。
3.酒造りから日本のもの作りをみる
3-1. 祭りによって物は変化する
ある時、塩の意識指数(エネルギー指数)を測定して不思議な結果がでました。
スーパーで買い求めた普通の塩と、わざわざ取り寄せた高価な塩の意識指数(エネルギー指数)を比べたところ、普通の塩の方がぐんと高いのです。
日を変えて、何度か計測してみたのですが、やはり、同じ結果になります。
これでは高価な塩の値打ちがありませんね。
しばらくして、ハタと気づきました。
その安価な塩は、神祭りの際に神前にお供えした塩だったのです。
そこで改めて、スーパーでその安価な塩を買い求めてきて、祭りにお供えしないままエネルギー指数を計測すると、はたして、やはり、高価な塩の方が高いという結果になりました。
つまり、塩を祭りに供えると、そのエネルギー指数ががらりと変化してしまうのです。もちろん、高くなります。
3-2. 初めの祭り心が今に伝わる
房総の銘酒、寿萬亀のエネルギー指数(意識指数)を測定して、その高さに驚きました。
それ故、ひょっとして、酒造りの神祭りをきちんとなさっているのかしらと思った次第です。
そこで、蔵元の若女将に訪ねると、特に酒造りの祭りは、特殊な場合を除いて、普段はしていないとのことでした。
なるほど、それもよくわかります。
そもそもの初め、山伏たちが白酒を造り始めた、その祭り心が今に伝わっているのでしょう。
酒は、神祭りには欠かせない神宝(しんぽう)であります。
その神宝を謹しんでお造り申し上げる山伏たちの心映えが、今、酒造りする杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)たちに受け継がれているのでありましょう。
つまり、ことさら酒造りの祭りという形式を取るわけではないのですが、酒造りに携わる人たちの心に、真(まこと)の火がともっているのでありましょう。
ならば、酒造りの作業そのものをして、神祭りであると申し上げてよろしいでしょう。
本来の意味で申し上げるならば、主婦が家庭で米を研ぐ、その行為もまた祭りであると申し上げてよろしいのです。
そう申し上げることができるような、米研ぎをやらなけりゃならないのです。
それでこそ日本人であると、胸張って言えるのではありませんか。
3-2. 酒造りに必要な力
酒造りには色々な力が必要となります。
米の力
水の力
酵母の力
杜氏蔵人の力
こうしてみれば、人間の力は、必要な力の一部にしか過ぎません。
一部でしかない人間の力、とりわけ心の力が、先の3つに大きく影響を及ぼすであろうことは、「祭りした塩」の件から考えても、充分に推測できます。
酒造りの中に、日本の伝統的もの作り一般にみられる日本人の心映えが見て取れるのは、とても有り難いことです。
明治以前の日本人からみれば、これが本当に同じ日本人かと思われるような心ない人たちがまことに多いご時世であります。
寿萬亀(日本酒)
その中で、酒造りの杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)たち、その他物作りに精進しておられる職人たちこそ、日本の心を失わずに今に伝えていることが多いのではないでしょうか。
物は単なる物質ではありません。
物は人の心に感応してその働きを変化させます。
そういうことを知り尽くした日本人が、日本の物作りを支えているのでありましょう。