筆録(1) 昌原(あけはら)改姓のこと

1.昌原(あけはら)と改姓しました

1-1. 昌原(あけはら)改姓のお知らせ

 平成19年(2007年)9月9日を以て、私は、昌原容成(あけはら・ようせい)と名乗りを改めました。

1-2. 改姓の祭事を重ねて

 姓を改めるに当たって、一連の祭事を厳修する必要がありました。
 芸名やペンネームなら、これからこれこれと名乗りますと決意して表明すれば済むのでしょうが、神祭りにおいて、神前に吾が名乗りを捧げるという場合、あだやおろそかに名乗りを動かせるものではありません。
 また、先祖とのつながりをどう整えるかということも、とても大事なことになります。
 詳細は省きますが、昌原創姓の為のいくつもの祭事を重ねた結果、昌原の名乗りをわが身に通徹させ、天地神明に通徹させ奉った次第です。

2.昌原黄氏のこと

 私は、韓国に籍を置く「昌原黄氏」の血筋を引く者であります。
 昌原黄氏の初代は、およそ七百年ほど昔、韓国は高麗朝の頃、中国より半島へ移住して参りまして、高麗朝より韓国南部の「昌原」という土地を領地として賜ったのです。
 そこから、「昌原黄氏」の名乗りが生まれた訳です。
 韓国語では、昌原を「チャンウォン」と発音します。
 今この土地は、昌原(チャンウォン)市となっています。
 私は、昌原黄氏二十四世であったのですが、この度、黄の名乗りを改めて、昌原(あけはら)と名乗ることになった訳です。

3.名乗りを改めるとは人生一新すること

 名乗りを改めるとは、人生を一新することでございます。
 これまで五十八年間の長きにわたって、わが身にまとっていた衣を脱いで、新しい衣を身につけることになります。
 ここに至るまでに、まことに凄まじい道程がございました。
 他人様にはとうてい語れぬような人生の暗黒部を通過せしめられました。
 私本来の仕事とはかけ離れた雑事に、家内もろとも食われてしまいそうになることも多々ございました。
 それもこれも、過ぎてみれば走馬燈のようなもの。
 今、新生の衣を身につけて、いよいよ、私本来の仕事に没頭できるようになりました。

4.太陽の新時代と昌原の名乗り

4-1, 日本人としての自覚

 私は、日本で生まれ、日本で育ちました。
 日本の水を呑み、日本の米を食い、日本の空気を吸って、この肉体を作ってきました。
 幼い頃から家庭内では、両親は韓国語を使っていたのですが、私の言語脳は、日本語を母国語としております。
 その私の日本語脳が、日本語研究の末に、日本語アップダウン構造を発見したのです。
 私の肉体形成に働いた血筋を尊びつつも、この身も、この心も、日本人であると自覚しております。

4-2. 血筋を尊びつつ新生の流れを

 「昌原」に込めた想いは二つあります。
 第一に、私自身の血の流れを尊重するということ。
 第二に、時代認識ということがございます。
 表に現れた「日」の奥に、もう一つの「日」があり、二つを重ねて「昌」となる。
 即ち、今の時代こそ、過去細々と伝わっていた日本の本質が全面発現される時代であります。
「昌」の恵みは「原」に広く及ぼされます。その日本の本質を見極めてみると、その恵みは日本列島に限定されるものではなく、地球全土を潤すものでありました。
 即ち、「昌原」とは太陽の恵みを豊かに受ける地球全土の美称であると考えます。
 この感覚を以て、文章を書き綴っているのであります。
 この感覚が、私のこれからの生き方の根幹にあって、私の文業の根本精神となっております。
 「あけはら」と名乗りを改めることによって、この感覚は更に深められました。
 まさに、夜が「あけ」ました。
 昌原(あけはら)の名乗りは、太陽の新時代に魂振り起こすにふさわしい名乗りであると、有り難く受け止めております。
 
 これからも、新時代の流れを受けて、昌原(あけはら)振りを振り起こして、文業に励みたいと存じます。

5.昌原(あけはら)改姓はトランスペース新生

 平成19年(2007年)9月9日、足掛け数年に及ぶ「昌原(あけはら)創姓祭」を一切完了して、心持ちが改まると共に、長く放置していたトランスペース研究所のウエブサイトの新築に取りかかりました。
 生まれ変わった今の時点で、それまでに書きつづった文章を見ると、やはり、各所に手を入れたくなります。
 また、カテゴリー構成自体も見直したくなりました。
 そこで、サイト全体を一から新たに作り上げるつもりで、改装ではなく、新築を行うことを決意しました。
 昌原(あけはら)容成の新生は、トランスペース研究所の新生です。
 在天の諸神諸霊、吾が雄叫びに共鳴り起こせ!
【参考】→ 太陽の新時代(トランスペースの理念)

日本語は神である・びっくり驚いた