枕草子の言霊解釈1-1 春はあけぼの

「枕草子言霊解釈(現代語訳・英訳)」1段の1 春はあけぼの


【枕草子原文】(1段の1)
 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

【原文語釈】 
▼春▽ 立春から立夏の前まで。おおよそ、陰暦の1月から3月に当たる。
▼やうやう ヨウヨウ(少しずつ)。まさかヤウヤウとは読まないでしょうね。「てふてふ」とはチョウチョウのこと。
▼山ぎは 山際、山の輪郭 
▼あかりて 「明りて」つまり「明るくなって」と解したり、「赤りて」つまり「赤みがかって」と解したりする。英訳は後者。
▼たなびく 棚引く。棚は横に広がるので、煙や雲などが、横に流れる様をいう。煙が煙突からまっすぐに立ちのぼるさまを、棚引くとは表現できない。

【現代語訳】 春はあけぼのね。ようやく夜が明け始めて、山際がうっすらと赤らみ、紫がかった雲が細くたなびいているのなどは、最高。

【モリス英訳】 In spring, it is the dawn that is most beautiful. As the light creeps over the hills, their outlines are dyed a faint red and wisps of purplish cloud trail over them.
【英訳の和訳】 春、一番美しいのは曙ね。光が山の向こうから射してくると、山際がうっすらと赤らんで、その上に紫がかった雲が細くたなびいて。

【英訳語釈】 
▼dawn 曙
▼creep(s) (動詞)こっそりと忍び寄る。
▼their outlines 山々の (their) 輪郭(outlines)
▼are dyed 染められる。
▼a faint red かすかな赤 。 redは通常 不可算(uncountable)名詞だが、種類をいう場合は、可算(countable)名詞扱いになる。それ故、a faint red と”a” が付いている。 a deep red 濃い赤 
▼wisp(s) 断片 a wisp of smoke 一筋の煙、 a wisp of cloud 一切れの雲
▼purplish 紫がかった
▼cloud 雲 最近インターネットの世界で「クラウド」と言われるのは、まるでお空の雲のような場所にデータを蓄えておくから。もちろん「クラウド」はイメージ上のことであり、実際のデータ保存スペースは地上にある。地上のどこからでもアクセスできるということから「クラウド」と云われている。ついでに、cloud を覚えよう。
▼trail (すそなどを)引きずる、(雲や煙が)たなびく。重たい者を引きずっていく車をトレーラーと云う。

【鑑賞】 英訳は、「山ぎはすこしあかりて」の「あかりて」を、「赤りて」つまり、朝焼けが「赤みがかって」と解しています。これに対して、夜が「明りて」つまり、「明るくなって」と解する説もあります。

  解釈A あかりて=赤りて(色が赤くなって)・・英訳の解釈
  解釈B あかりて=明りて、明るくなって(夜が明けて)

 解釈Bの夜が「明りて」は、前の「しろくなりゆく」で表現されているので、さらに「明りて」を繰り返すのは、文才ある清少納言のなす業(わざ)とは思えません。

 よって、解釈Aの英訳にあるように、ようやく夜が明け始めて(しろくなりゆく)、朝焼けが赤みがかって(赤りて)と解する方に、一応の軍配を上げておきましょう。読者の皆様はどちらがお好みでしょうか。

 一応の軍配は上げておいたのですが、実はここに日本語と英語の違いを弁(わきま)えておくべき訓えが含まれています。

 つまり、解釈Aか解釈Bかと考えることは、実は、清少納言の原文を英語に翻訳するために生じることであって、日本語の「あかりて」は、解釈Aも解釈Bもともに含む言葉であるのです。

 モリスが、”their outlines are dyed a faint red” と訳した際の、red という英語と、日本語「赤」とはまったく同じものではありません。

 むしろ、赤 ≠ red と弁(わきま)えておかねばならないのです。
 「赤」信号は止まれ、というのは 英語民族のredに対する感覚です。肉食民族にとって、red で先ず最初に連想するのは、赤い血の色でしょう。

 red (赤)→ 血の色 → 危険 → 止まれ
 一方、大和民族にとって、「あか」でイメージするものは、太陽です。太陽が昇ると暗闇が消えてすべてが「明るく」「明らか」になります。

 「山ぎは少しあかりて」というのは、「あか」の背後に籠められた日本人の意識をもってする表現です。だから、解釈Aも解釈Bもともに含んでの「あかりて」であるとするのが、本当でしょう。

 赤 ≠ red については、
 「英語おもしろ話」の記事「Red ≠ 赤(Redと赤は、正反対)」
をお読み下さい。赤と red が異なるものであるということ、ご納得いただけるでしょう。

【昌原枕草子】 「春はあけぼの」はあまりにも有名な一節であり、これを知らぬ日本人はいないことでしょう。清少納言が「春はあけぼの」と書いた「春」とは、何月のことでしょうか。

 私は、太陰暦(旧暦)の二月から三月にかけての頃と考えています。旧暦二月は、太陽暦の三月。
 二月は光の春。まだ風は冷たく、雪も残るのですが、光の中に春の息吹が籠められています。

 冷たさの中にこもる光の暖かさが感じられるのです。一年で最も気温が低いかもしれない。それでも、光の中に温度ではない暖かさが感じられるのです。

 風は冷たいのだが、光の中に暖かさが感じられる。日本人であれば、この感覚を味わっていただきたいものです。

 二月を如月(キサラギ)といいます。如月(キサラギ)という言霊には、きらきらと輝く光の柱を立てるという意味があります。  

 清少納言が「春はあけぼの」と宣(のたも)うたのは、如月(キサラギ)の終わりから弥生(やよい)に入ったころ、気温も少しばかり上がった頃でしょうか。それにしても、桜はまだであったでしょう。(この点について、読者の皆様の感想をお聞きしたいものです。) 

 あまりにも有名なる一節ですが、枕草子全編の冒頭におかれている意味を改めて味わいたいものです。
 キサラギの冷たさがゆるむ弥生、生命の営みが萌えいずる春、日の出の荘厳なる美しさを、ゆるやかなる心持ちで受け止め、一日の始まりと枕草子の始まりとを重ね合わせる。清少納言、神妙の筆であると申せましょう。