「観光」の原義と「おもてなし」の心

滝川クリステルさんの「おもてなし」が評判に


観光旅行と「おもてなし」 東京五輪招致のスピーチで滝川クリステルさんが演じた「おもてなし」が評判を呼んだ。彼女の真似をして「お・も・て・な・し」とつぶやいた人々も多いであろう。
 世界中を眺めてみて、日本人ほど「おもてなし」の心がさわやかで深い民族はなかろうと思う。
 そこで、日本人の「おもてなし」の心を更にさらに深めていただき、日本が真実の観光大国となる道をさぐるために、「観光」の一語をじっくりと味わってみたい。

「観光」が「物見遊山」になってしまった


 言葉の語源をたどると、まばゆいばかりの光輝に満ちていたものが、使い続けるにつれて次第にその光輝を失い、すっかり俗塵(ぞくじん)にまみれて精気を失うということがある。「観光」という語も、その一例である。

 「観光」と同じ意味で使われる日本語に「物見遊山」(ものみゆさん)がある。
 「物見」(ものみ)とは、祭りなどの催し物や名所旧跡などを見に行くことであり、ひっくり返して「見物」(けんぶつ)とも云う。
 「遊山」(ゆさん)とは、野山に出掛けて遊ぶこと。「物見遊山」とは、英語にすれば、sightseeing あるいは trip とでもなろう。



観光とは国の光を観ること


 一方、「観光」とは易経から出た言葉であり、本来は、単なる「物見遊山」や「見物」以上の意味があった。観光イコールsightseeing or trip とはいいかねるのである。
 (この点については、別に「英語おもしろ話」trip の解説で述べる。)

 易経の「風地観」(ふうちかん)の四爻(こう)に「国の光を観る」とあり、そこから「観光」という言葉が使われるようになった。「観光」とは本来、「観国光」(かんこっこう)であったのだ。

 地球上あらゆる国に国魂の神がいらっしゃり、産土の神がいらっしゃる。
 ならば「国の光を観る」とは、国魂の光、産土の光を、心眼で観ることにほかならない。「観光」とは、単なる物見遊山や見物とは異なる次元の言葉であった。
 国魂の光、産土の光を観ることが「観光」であるならば、日本こそ「観光」大国になり得る国であり、それを目指すべき国であろう。

観光大国・日本を目指すには


 日本が観光大国を目指し、「おもてなし」の心を発揮するには、どういう心掛けが必要か。そこにも易経の訓え「観光」が役立つ。
 あれほど反日感情をむき出しにする中国人が、韓国を捨てて日本へ「観光」にやってくるという。(韓国誌の報道。下記は翻訳)

反日感情が強い中国人が韓国を捨て日本に行くのはなぜか?―韓国メディア

韓国紙・亜洲経済の中国語版ウェブサイトは6日、「観光サービスが行き届かず、中国人観光客が韓国を捨て日本に行く」と題した記事を掲載した。
 記事は、中国人観光客にとって最も好きな観光地に数えられていた韓国の観光業が最近、赤信号を灯し始めていると指摘する。政治的な理由から反日感情が強いはずの中国人観光客が日本を渡航先に選び始め、そのせいで韓国を訪れる中国人観光客が減少しているといもの。韓国観光業はこの傾向に強い懸念を示している。

 その原因について、韓国観光業は「インフラの不十分さ」を挙げた。外国人向けに整備された宿泊施設が足りず、ひどい部屋に宿泊させられた多くの観光客から苦情が殺到している。ファッション・化粧品市場の衰退も中国人観光客が離れた大きな原因とみられる。中国人客にとって韓国旅行の1番の魅力はショッピング。だが、最近の韓国製品は国際競争力を弱め、中国人客の需要を満足させられなくなっている。

 反対に日本では様々なショッピングセンターが誕生し、各ブランドの流通経路も見直された。長い間低迷していた日本のファッション・化粧品業界に新たな活力が注入された。関係者は「韓国はこれまで低価格の化粧品を観光の目玉とし、本来の意味での観光資源の開拓に力を注いでこなかった」と指摘する。

 ボッタクリも観光客離れに大きく響いたようだ。中国や東南アジアからの観光客をカモとして、商品価格や整形手術代を故意に高くふっかけ、怒りを買った。韓国が真の観光大国を目指すなら、サービスの在り方を根本から考える必要がありそうだ。
(編集翻訳 小豆沢紀子 2014年2月7日ヤフーニュースより)

 反日を叫ぶ中国人や韓国人が、それでも日本を訪れるのは、日本製の電気製品や化粧品、安全な食品ばかりではなく、表面意識には上らずとも根底においては、日本国の国魂の光、産土の光に曳かれてのことであろう。

 易経には、「国の光を観る」の解説として「国の光を観るとは、賓(ひん)を尚(とうと)ぶなり」とある。
 「賓」(ひん)とは、主賓、国賓という言葉があるように、訪れてきた客を尊ぶ言葉である。「国の光を観る」のは訪れる人の立場であり、「賓を尚ぶ」のをそれを受け入れる人の立場である。訪れる立場と受け入れる立場の両方があいまって「観光」が成り立つ。

 日本が真実の観光大国を目指すならば、どこの国の人々であれ、日本国を訪れる人々を「賓客」(ひんきゃく)として尚(とうと)ばねばならない。反日感情の輩(やから)であると見下すことは、反・反日に堕落するほかない。それでは、過てるキリスト教徒が他宗教の信者を異教徒と見なし、過てる中華思想が四方の民族を東夷(とうい)、北狄(ほくてき)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)と蔑称したのと変わらない。それは日本人の生き方ではない。
 
 日本を訪れた観光客に、国魂の光、産土の光を及ぼし、真実の「観光」を味わっていただくならば、日本人一人ひとりが、国魂の光、産土の光を背負って、「おもてなし」の心を発揮すべきであろう。日本人の「おもてなし」の背後にある日本国の光を浴びた観光客は、いつ知らず日本国に対する尊敬の心を深めていく。

 それが日本人の生き方だ!
 それが、「観光大国」日本のあり方だ!
【参考】英語 trip(トリップ)と日本語「観光」