産土神もひっくり返るお土産(みやげ)の話

 学生時代の恩師(祥雲翠龍先生)から年賀状を戴いた。私が年頭に『親子で学ぶ神道読本(一)父と母と産土の神』を出版したという年賀状を差し上げたところ、それに答えての返書でした。それがあまりに面白かったので、老先生に年賀状大賞を差し上げました。→ 年賀状大賞(平成26年)決定!(産土よりもお土産を)
 そこで、「産土」と「土産」について一文を草することにいたします。

産土神は、土を産む神

 「産土」を「うぶすな」と読むことの出来る人が増えつつあることはよろこばしいことです。
 土(すな)を産む、つまり大地を生み出す神を、産土(うぶすな)の神と申し上げます。

 日本全国、津々浦々に、神社を建てて産土神を礼拝申し上げているのは、祭祀民族であり大和(やまと)民族である日本人ならではのことでしょう。(ヤマト民族とは日本人のことですよっ!それをしらない若者(大卒の教師たちも)が多いことにビックリ仰天したことがありました。
 → 昌原筆録【7】大和(やまと)民族を知らない若者たち

 大地の表面から3メートルの下は、産土神の御肉体と受け止めて宜しいのです。人間は大地と共に生きている存在です。

 「大地と共に生きる」ということ、まことに美しい言葉で、どなたでも、どの民族でも、そういう表現はなさいます。
 しかし、真実、大地と共に生きるということが、神祭りという次元にまで高めて行っているのは、地球上で大和(やまと)民族のみと言えるでしょう。

 その産土の大地を集めて一つの国となし、それを国魂の神が治められます。摂津の国、河内の国、武蔵の国、などという「旧国名」は、今も国魂の神と共に働いておられます。国魂の神は、それぞれの国の一の宮に神座(かみくら)を置いていらっしゃいます。

  摂津の国一の宮は、住吉大社
  河内の国一の宮は、枚岡神社
  武蔵の国一の宮は、氷川神社

 大和民族は、祭祀民族です。日本人は、産土の神と国魂の神と共に、生きてきたのです。

産土をひっくり返して土産となる

 その「産土」の二文字をひっくり返すと「土産」となる。
 「土産」を「みやげ」と読みます。そうです、「土産」(みやげ)とは、土の産物、その土地の大地の産物なのです。それはつまり、その土地の産土さまの魂振りの産物なのです。

 その土地、その土地に必ず「土産」があるということは、必ず「産土神」が働いておられるという証しでもあります。
 お土産を尊ぶのは、その土地の大地の働きを尊んでいるのです。

 トランスペース友の会の会員に、富山(越中)で農業をなさっている高見さんという方がいらっしゃり、昨秋、庭で取れたという柿をどっさり送って下さいました。

 大小不揃いで、あちこちに黒いあばたがついているような柿なので、こんなものを送って申し訳ありません、という口上が添えてありました。

 いやいや、どうして、見かけは確かに田舎の子かも知れませんが、この柿がとても甘くて美味しかったのです。よほど、その土地のエネルギーが高いのだろうと家内と感心したことでした。
 あばたもえくぼのその柿を戴くということは、越中の国の大地の響きを戴くと云う事なのです。

 産土が変化して土産となる。これは当然の事と云えるでしょう。

 では、その土地その土地の一番の名産は、一体何でしょうか。その土地の産物という意味籠めて、土産(どさん)と呼ぶとすると、土産(どさん)の中の第一の土産(どさん)は、何でしょうか。
 それは、あなたです。人間です。

 数ある名産の中で、第一の名産は、その土地の人間です。
 日垣神道の教えに、人間は地球と同根であるという一義があります。

 大地を生み出す産土の働きを受けて、人間が生まれる。
 ならば、人間も、その土地の土産も、産土の響きを受けてつくられたもの、言ってしまえば、産土の化成物でありましょう。

 友の会フォーラムに「お国自慢・自分自慢」というカテゴリーを設けて、自分の住む土地と自分自身を褒め讃えてくださいとお願いしているのは、「産土が変化して土産となる」ということを踏まえてのことです。

 会員諸兄姉よ、産土を褒め讃え、国魂を褒め讃え、土産を褒め讃え給え。
 かくしてこぞ、己自身をも褒め讃えることができるでありましょう。

 日本各地のお土産話を、どうぞフォーラムに投稿して下さい。
 日本全国のお土産話が、どっさりと集まることを期待しております。
 どうぞ、よろしく!


 日本語の奥に神が隠されていました。
 日本語を使う日本人は無意識のうちに神とつながります。
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