琴の稽古を始める
琴と謡いのお師匠さんに勧められて、琴の稽古をすることになった。
先ずは、幅90cmほどの短琴にて弾奏の稽古をする。
安価な練習用の短琴ではあるが、CDの音色とは違って、生の音にはそれだけの安らぎをもたらす響きがある。
源氏物語の若菜の巻に、琴の名手である源氏の君が、琴について論ずるくだりがある。
この(琴の)芸をきわめれば天地も動かすことができ、鬼神の心も柔らげ、悲境にいた者も楽しみを受け、貧しい人も出世ができて、富貴な身の上になり、世の中の尊敬を受けるようなことも例のあることなのだ。(円地文子訳『源氏物語』より)
これは古今集の仮名序にある、
「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし・・・・鬼神をも哀れとおもはせ」
という件(くだり)を踏まえたものである。
「力をも入れずして天地(あめつち)を動かす」という和歌の力は、祝詞の力でもある。
祝詞を奏上して、その内容が現実化していく様は、まさに「「力をも入れずして天地(あめつち)を動かす」と言える。
その力を、琴も持つと源氏は言うのである。
琴をコトと云うのも不思議なことである。
言葉のコト、物事のコト、それを奏でる琴。
琴の稽古を始めることによって、私の心の世界が一つ大きく開いていくような気さえしている。
しかし・・・・・・。
源氏の琴論は、なおも続く。
実際すぐれた琴の音は月や星の座を変えさせることもあったし、その時季でなしに霜や雪を降らせたり、黒雲がわき出したり、雷鳴がそのためにしたりしたことも昔はあったのだよ。
ウーン・・・・。
琴の音色でもって、月や星の座を変えさせるというのか・・・・・。
古代人には適いませんね。
まあ。無心に稽古に励むことにするか。あはは。