感想11・宗教以前の神道が、日本人の心の道

感想11 宗教以前の日本人の心の道がいろいろな問題を解決


日本語は神である・読者感想文 感想文の作者・瀬谷沙羅さんは、福岡でカウンセリングのお仕事をなさっています。
 以下に六年前(2008年)に戴いた瀬谷さんのお手紙と、最近(2014年2月)のメールを転載させていただきます。
 このページは拙著『日本語は神である』の「読者感想文」というカテゴリーのページですが、瀬谷さんの「感想文」は、拙著に対する感想文ではなく、このサイトの文章に対する感想文であります。それをあえてここに掲載させて戴くのは、読者にとって裨益するところ甚だ大きいと思うからです。瀬谷さんに掲載のお願いをしたところ、私に判断をゆだねる旨のメールをいただきました。そのメールも併せて掲載いたします。
 瀬谷さんのお仕事であるカウンセリングは、神々の存在を抜きにしてはとても困難であるとお感じになってはいたのですが、瀬谷さんは既存の宗教とは距離を置いてこられました。本サイトの文章を読んで、広い意味での神道が宗教以前の日本人の心の道であると確信され、沢山のことが解決できたそうです。
 では、瀬谷沙羅さんが、日本人の大らかな心の道により問題を解決されたという感想文レターと最近のメールを、拝読いたしましょう。

既存の宗教を離れ、日本人の心の道にきづく(瀬谷沙羅)

 前略、ごめん下さいませ。突然お手紙を差し上げますこと、お許し下さいませ。私は、福岡市内に住んでおります瀬谷沙羅ともうしまして、先日来、昌原様のお書きになっておられます文章を読ませていただき、とても参考になっております。
 昌原様の書かれている記事で、産土神様の記事、大変よくわかりました。

 私自身、去年からある古神道の先生にお会い出来、少しずつ神道について教えていただいておりいましたが、自分自身の中で、産土神様に六十才を迎え、ごあいさつと感謝をしたいと思う心が生じ、私の出身地の神社に参らせていただいところでしたので、とても深い感動を覚えてペンを執りました。

 長い間、私はキリスト教を自分の信仰として参りましたが、どうしても心がついていかず、二十年前にキリスト教の信仰を離れ、自分の中では神様方の存在を認めているにもかかわらず、既存の宗教の神々とは距離をおいて、一人で神社めぐりをしながら、最近は心の平安を得ておりました。

 昌原さまのこのサイトを拝見させていただいて本当に納得というか得心することが出来ました。自分なりに理解した範囲で祝詞を奏上させていただき、神棚に手を合わせて戴いておりますが、日垣先生(註:宮主師のこと)の沢山の書籍んもこれから少しずつ読ませていただきたいと思っております。

 私はカウンセリングの仕事を致しておりますが、このお仕事も神々様を抜きにしてはとても困難に思っておりましたので、ある時から、昌原様のおっしゃるように宗教以前の「神道」を日本人の心性、心の道として理解することで,沢山のことが解決できるのではと思っております。

 つきましては、色々と教えをいただきたいと思うのですが、何か講座とか講演会とかあれば、教えていただきたく思っております。
 系統だっての学びが必要なのか、どうすれば良いのか、今の自分には何もわかっておりませんので・・・。
 先日、『神伝・太祝詞と解文』を注文させていただきました。
 突然のお便りで失礼いたしました。どうご,ご教示お願い申し上げます。
瀬谷沙羅 (福岡市)


 とても素晴らしい感想文ですので、是非とも多くの方々にお読み戴きたいと思い、サイトに掲載の許可をお願いしたところ、次のメールをいただきました。

2014年2月28日のメール

 明日から弥生三月ですね。光陰矢の如しをお便りを頂いて実感しております。昌原様にお便りしてから六年も経っていたんですね。
 探し求めなさい、そうすれば与えられます。と言われたイエスのお言葉通りにこの六年で生まれてこの方の根源的な自分の疑問が紆余曲折を重ねながらもどうにか少しづつ糸がほどけるようにほどけてゆきお陰様で日々歩みを一歩一歩進めております。

 自分のあのとき差し上げた文章を読んであなた様のお書きになった色々な事柄が私の霊的な旅の道標になっていたという事に気付き改めて感謝です。仰言る様に既存の宗教は役目を終わって新しい時代を迎えているように私も感じております。

 自分の責任において霊的に少しづつですが日々励みたいと思っております。日垣宮主様の太祝詞と解文もとても助けになりました。重ねて感謝です。
 お目にかかるご縁があればまたご教示いただくことが沢山あるように思います。明日からまた寒さがぶり返すと聞いておりますのでお体ご自愛の上ご活躍お祈りいたします。

追伸 感想文掲載の件ですが、私自身は今、神道というカテゴリーの範疇にはいませんがその精神は十分に包含していますし霊的生活のスタート地点に立たせて頂いたのはまさしく神道ですのでお使い頂くのはそちら様のご判断にお委ね致します。
瀬谷沙羅 

昌原から一言:
 瀬谷沙羅さんのカウンセリングというお仕事は、心の問題に真っ正面から取り組むお仕事ですので、人間の心というものを深く見つめてこられたことでしょう。
 ところが6年前のお手紙からは、同じく心の問題を扱うはずの既存の宗教では充分な解決策が得られないというもどかしさを感じられたのでしょう、「既存の宗教の神々とは距離をおいて」こられたとのこと。
 「神々様を抜きにしてはとても困難」なカウンセリングの仕事であるのに、既存の宗教には「どうしても心がついていかず」、いわばちぐはぐな状態を意識していたところ、このサイトの文章を読んで「宗教以前の「神道」を日本人の心性、心の道として理解することで,沢山のことが解決できる」と納得されたのです。

アップダウン構造の奥には・・・ 宗教信仰という形をとるよりも、大きな意味で日本人の心の道を歩むというのが、自由闊達でとらわれがなく、何かにつけてこだわりがほぐれるのでしょう。

 日本語アップダウン構造の奥に存在するという「神」は、それが一番簡単だから「神」と表現したのですが、別の表現で「宇宙」でも「自然法則」でも「サムシング・グレート」でもよろしいわけですね。
 日本人の心は、そういう大らかなものでありましょう。瀬谷さんは、その大らかさを深く意識することからカウンセリングと心の道をご自分の中で統合なさったのでしょう。

 メール文の中に「私自身は今、神道というカテゴリーの範疇にはいませんがその精神は十分に包含しています」とあるのも、よく味わいたい一文です。日本人の文章ですね、これは。

 感想文の作者たちは皆それぞれ独自の世界をお持ちです。瀬谷さんももちろん他の作者たちも、ご自分の世界の住人であって、昌原の世界の住人ではありません。昌原は『日本語は神である』を著して、昌原が見た日本語の世界を表現しているのですが、独自の世界の住人たちがそれを観て、独自の世界の立場から感想をお寄せいただいているのです。

 だから、感想文が面白いのです。
 昌原が自分の世界を自分で表現するのも、もちろん意義があると思いますが、他人さまが独自の立場から感想を述べて戴くのが、それ以上に面白く、考える切っ掛けをも与えてくれるのです。

 瀬谷さんのお手紙とメールを拝読すると、拙著に対する感想ということはさておいて、一人の人間の心の進化というものを疑似体験させて戴くことができ、独自の世界をお持ちの読者の心に、成る程と納得できるものが生まれるであろうと思うのです。
 それが拙著の感想文ならぬサイトの感想文をここに掲載させて戴いた理由です。
 人間というものは、素晴らしい。
 瀬谷沙羅さん、どうもありがとうございました。

 既存宗教から抜けて日本人の大らかさを取り戻すという点で、次の感想文も併せてお読み戴くようお勧めします。
 ▼ 感想7・戦後教育とキリスト教のトラウマから解放されて