感想8・自然観察の道は、日本語観察の道とつながる

自然観察の名人が『日本語は神である』を語る

日本語は神である・読者感想文 感想文の作者・菅井啓之さんは、京都ノートルダム女子大学教授で、自然観察や「いのちの教育」に関する著書・論文を多数発表しておられます。
 菅井さんは植物に関する知識が豊富で、一枚の葉を渡せばそれがどういう植物であるのかを「同定」する名人でした。実は私とは大学で同じ研究室の出身であり、私が自然観察のおもしろさに開眼したのは、後輩の彼から受けた薫陶によるものでした。
 彼の著書『ものの見方を育む自然観察入門』を読んでいて思わず声を出して笑ってしまいました。同じことを書いているという笑いです。
 私が日本語の研究から導き出した考察と同様の考察を、彼は自然観察から導き出していたのです。感想文の中で、「神ながらの道」を「おのずから」とする彼の感覚からもそれが伺えます。『ものの見方を育む自然観察入門』は一家に一冊備えて、子ども達とともに自然観察を楽しむことをお薦めします。
菅井氏の教育研究活動 ▼ 菅井氏の著書『ものの見方を育む自然観察入門』

日本人が最も自覚しなければならないことに気づかせてもらった素晴らしい本!(菅井啓之)

日本人の本質がここにあったと心底から納得

 引き込まれるように一気に読み終えました。
 日本人の本質がここにあったのだと心底から納得できる素晴らしい本でした。

 40年にも渡る翻訳の仕事から紡ぎだされた日本語の本質、そこに目覚めることが日本人としての真の自覚であること改めて強く感じました。

アップダウン構造とは「神ながらの道」であり「おのずから」でもある

 読んでいくうちに「アップダウン構造」という言葉の真の意味とは何だろうかとの疑問が湧きました。
 益々引き込まれて読み進めながら、自分でも考えつつそれは「おのずから」ではないかと予想してみました。

 すると、最後にアップダウン構造の正体は「神ながらの道」であることが明かされ、凄く素直になるほどそうだと納得できました。と共に自分が予想した「おのずから」という言葉も正に「惟神」そのものであることに気づきました

 昌原註:「惟神」とは、「神ながら」と読みます。

 日本人が「自然体の生き方」を大事にするのは正に「神ながらの道」を大事にしたアップダウン構造の日本語を日々無意識に使っているからであることが分かりました。
 本当に素晴らしい気づきを与えていただいた本との出会いに感謝です!

 これからは日本語に対する意識が全く変わり、その深さをしみじみと感じつつ使っていきたいと思います。  
菅井 啓之  


昌原から一言:
 自然観察の名人(菅井氏)が『日本語は神である』を読んでどういう感想文を書いてこられるか、楽しみにしていました。戴いた文章を読みながら、あはは、また笑ってしまいました。我が意を得たり、という笑いです。

 アップダウン構造というキーワードは、日本語の分析のみならず、日本文学、日本精神、日本文化の総体の分析に胸のすくような力を発揮します。それが素晴らしいキーワードであればあるほど、日本語本来のやまと言葉でそれを表現できないとしたら甚だ残念なことです。

アップダウン構造を表すやまと言葉は「神ながらの道」であるのですが、拙著の中で私はそれをわざと最後の最後まで明かさなかったのです。

 菅井氏は『日本語は神である』を読みながらそのことに思い至り、自然観察の道を歩んできた彼なりにそれを「おのずから」ではなかろうかと推察したのです。
 そして拙著最終章で「神ながらの道」に到達し、それが「おのずから」と表現することもできると納得したのです。

アップダウン構造の奥には・・・ まったくその通りです。『日本語は神である』というタイトルを掲げ、アップダウン構造の奥に「神」が内蔵されていると説くのですが、実はこの「神」を「宇宙」と呼ぼうが「自然法則」と呼ぼうが「サムシング・グレート」と呼ぼうが、どうでもよいのです。

 要するにアップダウン構造の奥には人智を越えた偉大なる何かが内蔵されているということでよろしいわけです。それを「神」と呼ぶのは一番手っ取り早いからそう呼ぶだけのことですね。その偉大なる何かに崇敬の念を抱くということが大事であって、それをどのように表現するかはどうでもよろしい。

 自然観察の道をひたすら突き進めば、日本語観察の道とつながるというのは、甚だ愉快です。また彼と箕面あたりでも歩きながら植物学の講義など受けてみたいものだと思いました。
 菅井先生、どうもありがとうございました。