英語 trip(トリップ)と日本語「観光」

「観光」と "trip" の比較

日本三景・天橋立(あまのはしだて)
日本三景・天橋立(あまのはしだて)
 日本語「観光」が易経から出た言葉であり、その原義が「国の光を観る」ことであると述べた。(日本語おもしろ話『「観光」の原義と「おもてなし」の心』参照。)
 ある土地の「観光」を行うということは、その土地の光、国魂・産土の光を観ることであると知れば、「観光」旅行も大いに深みが出るであろう。
「観光」について詳しくは上記の記事をお読み戴くとして、それに対する英語の “trip" について考えてみよう。
 trip には、どうも見知らぬ世界へ入り込むというニュアンスがあるようです。
  make a trip to Kyoto 京都へ旅行に行く
 面白いことに、この make a trip には「間違いを犯す」という意味もある。旅の恥はかき捨てで間違いを犯す、いや、そういう意味ではありません。trip につまづくという意味があるのですが、これも普通に歩いていた状態から、突然別の状態(つまづく)に入り込むのですね。日常の生活から抜けて、見知らぬ土地を旅するということも、そこから感覚できます。

 機械などが、make a trip すると、正常な状態から抜けて見知らぬ世界へ入り込む、つまり故障することになります。
  I want to make a trip every year. 「毎年旅行したい」
 これを取り違えることはありません。しかし、次の文はどうでしょう。
  He makes a trip everyday. 
 これは、「彼は毎日旅行する」という意味なのか、あるいは意地悪な取り方をすれば、「彼は毎日間違いを犯す」という意味なのかわかりませんね。
 また、trip には麻薬を吸うという意味もありますが、まさに別世界へ旅するのでしょうね。
 trip によく似た言葉に trap (罠)があり、honey trap (ハニートラップ)となると、女性の色気で外交官等を誘惑して情報を引き出そうとする罠(わな)を意味します。trip も trap も似たようなものです。
 「観光」の原義が「国の光を観る」ことであるのとは、随分大きな違いがあります。

日本語「観光」の原義は素晴らしい、しかし・・・

 さて、こういうことを申し上げるのは、読者のみなさんにとても大事なことを腹に収めて戴きたいからであります。
 日本語「観光」の原義は素晴らしい、一方、英語の trip  はまるで trap(罠)じゃないか、だから日本語は尊くて英語は日本語よりも劣っている・・・のではないのです!

 比較するということと、優劣を論じることとは、全く別の二つの事柄です
 私は「観光」と trip を比較しただけです。そこから日本語と英語の優劣を論じたつもりは毛頭ありません。

 第一、日本語「観光」の原義が「国の光を観る」ことであるのは本当ですが、だからといって日本人観光客がそれを腹に収めて外国旅行をしているとも思えない。
 確かに日本語は素晴らしい言語です。私の大脳は日本語によって働いていますので、今更、日本語が好きだとか愛しているとかいうレベルの問題は、私には関係がありません。

 そして、英語については、英語翻訳40年の経験も踏まえて申し上げると、英語はまことに尊い言語です、愛すべき言語です。英語には、日本語にはない特徴があり、それを私は「ショートカット構造」と名付けました。これが実に小気味よいのです。

英語「ショートカット構造」を礼賛する

 英語を初めとする西洋語を用いる民族が、西洋近代科学を興したのはこの「ショートカット構造」の力によってです。彼らが「ショートカット構造」の言語の特性を遺憾なく発揮してくれたが故に、今日の日本人もその恩恵に浴しているのです。
 だったら英語「ショートカット構造」に対して、充分な敬意を払うべきでしょう。

 日本語「アップダウン構造」については、『日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造』という一書にまとめて出版しました。
 「日本語は神である」と申し上げて、天地に羞じる物ではありません。
 「日本語は神である」ならば、「英語も神である」と申し上げてよろしいのです。
 ただし、その意味内容は、甚だしく異なります。(これは比較であって優劣ではありません。)日本語「は」には、「主語をあらわす」というような学校文法の解説では収まりきらない、広いはたらきがあります。「日本語は神である」と「英語は神である」とは、外面の形は同一といってもよろしいのですが、内容は甚だことなります。

 「日本語は神である」というのは、日本語の中に神が内蔵されているという意味です。
 「英語は神である」というのは、英語だって肉体人間が人知でこしらえ挙げた言語ではなく、天からの賜った言語であるという意味です。言語はすべて天からの賜り物なんです。
 要は、その民族の天命にふさわしい言語が天から与えられているのです。英語民族は「ショートカット構造」を駆使し西洋近代科学を興しました。立派に天命を果たしたのです。

 次は、日本語「アップダウン構造」を自覚した日本人が、その天命を果たしていくべき時でありましょう。私は、それを「太陽の新時代」と申し上げているのです。
【参考】 【1】太陽の新時代(日本神道の新生)

 それはさておき、話を英語に戻します。
 日本語「アップダウン構造」をやまと言葉で表現すると「神ながらの道」となります。
 ところが「神ながらの道」では日本語の分析が進められないのですが、それを英語に直して「アップダウン構造」と称すると,日本語の分析が真に簡単に進められるのです。これは英語の徳分です。
 「やまと心よよみがへれ」という標語を掲げるトランスペース研究所が、「神ながらの道研究所」と称さずに英語を借りて「トランスペース研究所」と称しているのも、英語の徳分を拝借してのことであります。
【参考】 トランスペース研究所とは

 そういう訳でありますので、「日本語は神である」と承知して戴いたならば、他民族の言語にも充分名敬意を払って対していただきたいと思うのです。そのことを申しげたいが故に、切っ掛けとして、日本語「観光」と 英語 “trip" 比較して論じたのです。読者諸兄姉よ、が意を深く汲み給え。

 今後は、英語「ショートカット構造」を礼賛する文章を書き綴りたいと考えております。