花見とは、やまと心の鎮魂である
関西では桜の盛りは過ぎたが、まだまだ北の地方では、これからも花見が続く。
日本人ほど、桜の花にたいする想いが強い民族は、はかになかろうと思う。
花見とは、実は、大和心の鎮魂である。
【阪神競馬場・公園での花見、2015-04-02】
桜花は、大和(やまと)心の象徴である。
本居宣長は、「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」と詠んだ。
日本人の桜花に対する想いの程は、外国人にはめずらしく映ると見えて、今年の有名は花見所では、日本人の花見姿を写真に撮る韓国・中国の観光客が多かったとか。
日本人がこれほど桜に魅せられるのは、日本人が己自身の中にある大和心を、外にある桜花に見いだして、その美しさをたたえてるからである。
その花見の奥底に、大直日(おおなおひ)の神さまの働きがある。
人は皆、人間あるという証しとして、直日(なおひ)を戴いている。
これが人間のシルシである。
その直日をすべてひっくるめて、大直日の神がいらっしゃる。
大直日さまが桜花を示して、日本人よ、この桜花の美しさ、潔さ、それが汝らの身中(みぬち)に秘められた直日(なおひ)の美しさであるとお説きになる。
日本人は、それを観て、何と美しいことよ、日本人に生まれて本当によかったと深く思う。
これはすなわち、己自身の直日を己自身で褒め讃える姿にほかならない。
「花見とは、大和心の鎮魂である」とは、そういう意味である。
ところで、本居宣長が詠んだ「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」における「山桜花」とは、ソメイヨシノのことではない。ソメイヨシノ以前の山桜である。
ソメイヨシノも勿論美しいのだが、それだけが桜ではない。
オオシマザクラなどは、緑の葉と花のピンク色とが同時に味わえて、すこぶる美しい。
ヤマザクラ、その他の種類の桜もまた、美しいものであるということ、日本人として深く心に留めていただきたいものである。
【ソメイヨシノとオオシマザクラ】
毎年の花見を一層深めるために、次の記事を是非ともお読み戴きたい。
▼昌原筆録(29) 山桜を愛でる(ソメイヨシノ全盛の陰で)