モノの話(3)物部(モノノベ)氏と日本神道

物部氏と私

では、日本語モノの話第3回をお届けします。

およそ1400年程前に、日本国に仏教がもたらされようとした時、日本古来の神道を護持しようとしたのが物部守屋(もりや)率いる物部氏でした。

物部氏は結局、仏教導入を図る蘇我氏と争って敗れ去りました。

私の生まれ育った八尾市は、物部氏の土地であります。
母校の竜華中学校は、国道25号線沿いにあるのですが、国道の斜め向かいに物部守屋(もりや)の墓がありました。

日本神道を護持した物部守屋の墓 【物部守屋の墓】

また神道修行の道に入って、初めに参籠したのが物部氏の武器庫でもあったとされる石上(いそのかみ)神宮でした。

深夜の拝殿での鎮魂を終え、参籠所で仮眠をとり、夜明けの朝霧の中、朱塗りの楼門をくぐる時、まるで別次元の世界にいるかのように感じられたものでした。


余談ですが、この石上神宮の井戸の水が、本当に美味しいのです。
意識指数を計ると、もっと指数の高い水はあるのですが、味の点で私の知る限り一番をつけたいのは、石上の水です。
(ちなみに、意識指数が石上の水を上回るのは、大神(おおみわ)神社の神域内にある狭井(さい)の薬水であり、指数は最高の1000です。指数1000の自然水は、私の知る限り、もう一箇所あります。)


ともかく、私は、物部氏に対しては格別の思いを持っておりました。
モノの話(3)として、物部氏についてモノ語ることにいたします。

物部氏は、物を重視する一族

物部氏は、今の歴史では武器や祭具を作ることに携わっていたと言われます。
いわば物作り部(ものつくりべ)と言えるでしょう。

物を現在の西洋物質観に立った物質とみなすと、物部氏とは無質主義者の集団であったということになりかねません。
日本神道を護持しようとしてイノチを賭けて戦った物部氏が、マテリアリストの集団である訳はないでしょう。

日本語「モノ」は物質(matter, substance)ではありません。

物部氏は、物質を重視していたのではありません、モノを重視していたのです。

日本神道は、日本人の大らかなる心の道といえるでしょう。
その日本神道を守ろうとした物部氏が、モノを重視する一族であった。
つまり、日本人は本来、モノを大切にする民族であるのです。

ただし、この「モノを大切にする」という日本語の意味をウーンと深く掘り下げなければなりません。
「モノを大切にする」ということは、日本精神の精髄に関わることだからです。

やまと心と西洋的スピリチュアリズムの違い

西洋語 “matter” や “substance” の翻訳語としての「物質」という言葉が日本語の世界で広がるにつれ、日本人のモノ意識が大きく西洋化してしまいました。

精神と物質を完全に二分して交わらないとする西洋物質観が、日本語の「モノ」の世界を浸食してしまったのです。

その結果、スピリチュアルな世界を尊ぶ人たちがよくおっしゃいます。
「物質文明から精神文明への転換」とか、「ものの時代からこころの時代へ」とか。

ちょっと待って下さい!

「ものの時代からこころの時代へ」などといわれますと、モノは一体どうなるの?

モノの心はどうなるの? 
モノのタマシイはどなるの?

「ものの時代からこころの時代へ」とよく言われるのは、西洋流の精神・物質二元論に基づく感覚であります。ショートカット感覚でものと心を峻別した上で、心を大事にしましょうと言うのです。

ところが、本来のやまと心は、アップダウン感覚でものと心を融合させて、ものを大事にするのです。

ものを大事にする物部一族が、日本神道を大事にしていたのです。

大和(やまと)心とは、現実調整能力

大和心を定義するとなると、さまざまな観点からの定義が可能でしょう。

私は、これまでの論述を踏まえて、やまと心とは現実調整能力であると定義したいと思います。

大和心にとって重要なのは、現実です。もちろん、あの世は尊びます。
アップダウン構造であの世と繋がりながら、この世を美しく整えていくというのが大和心の本質であります。

欧米の宗教国家は、ことさらに神よ神よと言い立て、宗教を前面に押し出してきます。アメリカ大統領は、聖書に手を置いて宣誓しなければ大統領になれないのです。

ところが日本人は、世論調査をすると、およそ7割以上が無信仰となります。つまり、日常生活で、神よ神よと言い立てないのです。言い立てなくても、日本語アップダウン構造で繋がっているのですから、それは置いといてよろしいのです。
それは置いといて、この世を美しく調えましょうというのが、大和心であるのです。

西洋の日本研究者が、日本人と日本文化の特質として、現実主義的傾向が指摘するのは、この点からみて間違いではありません。

日本人が調和を尊ぶという心性を持つのも、現実調整のやまと心からくる必然でありましょう。

「モノ」を物質(matter, substance)という感覚から抜けて、物部氏がモノを重要視してきたことに倣って、この世のモノを美しく調えていくというのが、真実の日本人の生き方と言えるのではありませんか。
日本人はモノ作りが得意であると言われるのも、やまと心のおかげです。

モノの心を感覚する日本人として生きたいきたいモノですね。

読者感想(Kさん、兵庫県)

モノの話(2)大物主の神について述べましたが、それにつき読者のKさんから感想メールを戴きました。ここに掲載して共有します。

いつもメール配信をありがとうございます。
楽しみに拝見いたしております。
ご本もアマゾンで購入し、感動しながらじっくり読ませていただいております。
日本語について、こんな素晴らしい発見をなさったなんて感動感謝の極みでございます。
姉やいろんな方にお勧めしています。
こんな素晴らしい書籍に出会えましたこと、本当にありがとうございます。

大神神社の大物主命様が物に魂を鎮めなさると教えていただきまして、真につながって感動したことがあります。
今まで何も知らないまま大神神社には何か魅かれて参拝していましたが、そのうちどうしても自宅というより会社の神棚に大神神社のお札を置きたくなりました。
今はご鎮座されて毎日祝詞をあげております。

モノづくりの神様だったのですね!
会社は製造業なんです!
教えていただきましてこれからは製品や社屋に神の息吹と愛情を感じながら、より一層感謝して仕事に邁進していきたいと思います。
ありがとうございました。
(Kさん、兵庫県)

「これからは製品や社屋に神の息吹と愛情を感じながら」仕事に邁進していかれるとのこと、それが日本人の生き方でしょう。
素晴らしい! Kさん、ありがとうございました。

モノの話(4)いきとしいける物のおもひは