浅田真央ちゃんの涙がようーく分かる、よく分かる
ソチ・オリンピック(2014年)のフィギュア・フリープログラムで演技を終えた浅田真央ちゃんが感極まって涙した。
彼女が15才でデビューした時から「真央ちゃん」と呼んできたので「真央ちゃん」と呼ばせて戴く。
真央ちゃんの涙を見て、お父さんも、あの世のお母さんも、きっと貰い泣きされたことであろう。フィギュア会場では、真央ちゃんの涙を目の当たりにした日本女性たちが、化粧崩れを直すためにどっとトイレに押しかけて,トイレが日本女性たちでいっぱいになったとか。さもありなん、さもありなん。
私は高校時代はラグビー部に所属していた。その夏合宿のしんどいこと、しんどいこと。(「しんどい」とは疲れるという意味の関西弁。)中でも「ランパス」はしんどかった。
「ランパス」とは「ランニングパス」のことで、数人のグループに分かれてグランドの端から端までを全速力でパスしながら駆け抜けるのである。合宿では鬼の様な先輩たちがいて、少しでも気を抜くとどやし付けられる。しかも、「ラスト」というかけ声が決して「ラスト」ではないのである。
「ラスト」の次には「もう一丁ラスト」、「まだまだラスト」が続き、遂には面倒くさいのか「もう一丁」が続く。さっき「ラスト」と言ったじゃないの!
大学時代には合気道部で随分と激しい稽古をしたが、肉体に対する過酷さという点では、私の人生でも最も過酷な体験は高校ラグビー部の夏合宿であった。
その合宿7日間の最終日に、「もう一丁ラスト」も正真正銘の「ラスト」になって合宿練習が一切終了すると、部員たちは肩を組んで円陣を作り、校歌を斉唱するのである。
「かーわちの輝くまーなびの庭にー」と唱い始めるのだが、全員すぐにどっと泣き出すのです。一人残らず泣き出すのです。泣きながら声を振り絞って校歌斉唱するのであった。鬼の先輩ちらりと見たら、鬼の眼にも涙が光ってましたわ。
ある年の夏合宿の最終日に家族が見学に来た時があった。私達が円陣を組んで泣き出すのを見て、後で妹がこう尋ねた。
「練習おわったのに、なんで泣いてるの?」
あのねー、あんたねえー、もう・・・・・・・・・・。
死ぬか生きるかというのは大げさかも知れないが、死ぬほどつらい場面を何とかしのいで切り抜けた時、人は自ずと泣き出すのである。
ともかくやり抜いた、全力を尽くした、終わった、その瞬間に自ずと涙が噴き出すのである。
そういう経験をしたことがない妹には、死ぬほどつらいことをやり遂げた後の涙が理解出来なかったようだ。
真央ちゃん、最後の最後の演技はトリプルアクセルを含めてすべてのジャンプを完璧にこなし、自分の持てる力を完璧に出し切った演技であった。
これはもう、メダルなどは関係がない。メダルじゃないの。やり終えたのですよ、彼女は。
易経に「有終の美」という言葉がある。終わりあることは美しいのです。また終わりを美しく飾ることが出来る人を、易経は君子(くんし)と呼ぶのです。
真央ちゃんは、最後の演技を完璧なまでに美しく飾りました。前日の転倒のためにメダルは取れませんでしたが、そんなことは関係無い!演技を終えて真央ちゃんが涙したのは、有終の美を飾ることができたという涙であったのです。
年をとると涙腺がゆるむと見えて、私もなにやら・・・。
浅田真央ちゃんの涙が、私にはようーく分かる、よく分かる。
真央ちゃん、ご苦労様でした。感動の演技をありがとう。