(17) 容成グルメ三題(第二話)ウロコ付きの刺身で人生を学んだ話

人生六十年を振り返って、食べ物に関して思い出に残る話が三つあります。
その三つの話に共通するキーワードが、私の名前である「容成」ということです。
「容成グルメ三題」と称して、それを物語ることにします。
   ▼(第一話) 乏しきを分かち合って親友に裏切られた話
   ▼(第二話) ウロコ付きの刺身で人生を学んだ話
   ▼(第三話) ウサギの頬肉を呑み込んで行く先を定めた話

第二話 ウロコ付きの刺身で人生を学んだ話

萩原先生と刺身を戴く

 萩原武士先生は、私の大学の恩師であります。四回生の時、萩原先生に我が合気道部の顧問になって戴き、学生と共に稽古もして戴きました。
 学問では、萩原先生が師であり、私が学びの徒でありましたが、合気道においては、私が先輩で萩原先生が後輩であります。
 そこで、稽古場では、上座の私に対して、下座の萩原先生が、先達に対する礼を尽くすという形を取ってきました。先生は、そういうことにもこだわらずに、私たちとつき合って下さいました。
 また、学生たちが若さに任せて馬鹿騒ぎするような場合にも、兄貴分としてつき合って下さることもありました。

 先生のご専門は、理論ではなく、実験でありましたので、ナッパ服を着て夜遅くまで研究室で機械器具と格闘するという日々を過ごしておられました。いわば昔風の「職人」のような風格をお持ちでした。そのお言葉の端々に、ずしりと心に響くものを感覚するということが多々ありました。
 学問であれ、芸道であれ、一つの道を究めようとして努力精進を積み重ねている人の言葉には、若者の心を惹きつける魅力があったのです。もちろん、大学には他の教官も多数いらっしゃって、それぞれの分野で努力精進を重ねていらっしゃるのですが、私にとって萩原先生のお言葉がとりわけ新鮮に面白く感じられたのでした。

 その萩原先生が、ある時、私に酒をふるまって下さるということがありました。当時講師であられた先生の懐具合がそれほど潤沢ではないことを、私も承知しておりました。その先生が、酒をふるまって下さるというのです。有り難いではありませんか。

 それは昌原(あけはら)改姓の遙か以前のことですので、当時の私は「黄容成」と名乗っておりました。
 「コー君、今日は存分に呑もうじゃないか」
 先生のお言葉に私は嬉々としてついて行ったのです。

 大学近くの寺田町の裏通りに、その飲み屋はありました。

 萩原先生はビールと刺身を注文されましたので、私も同じものをいただくことにしました。

 さて、ビールで乾杯して、刺身を一口戴いたところ、何やら口に残るものがあるのです。ふと皿の上の刺身を見ると、何とウロコが付いているではありませんか。つまり、私は、口のなかでウロコを噛んでいたのです。
 そこで、ウロコを吐き出そうとした、その瞬間、萩原先生がおっしゃいました。

 「コー君、おいしいね!」

 この一言で、吐き出そうとしていた神経が一気に逆転して、私はそれをゴクンと呑み込んだのです。
 コークンと言われて、ゴクンと呑み込んだわけ。(ごめん、へたな駄洒落を。)

 ゴクンと呑み込んで、「はい、おいしいです」と私は滑舌(かつぜつ)よろしく応えました。

 「コー君、おいしいね!」
 「はい、おいしいです!」

 この何という間合い、何と言う絶妙のタイミング、何という神妙の掛け合いか。

 当時私は、『老子』から採った襲明(しゅうめい)という号を使っておりました。

 無棄人、無棄物、是を襲明という
 (捨てる人無く、捨てる物無し、これを襲明という)

 深い考えもなく使い始めた号「襲明」が、よく考えてみると「容成」(容れて成る)と同じ意味であると気づいたのも、ちょうどその頃でした。
 つまり、「襲明」も「容成」も、偏狭なる私の心をグーンと広げて、万物を受け容れ、万人を受け容れられるような人となれという、私の人生の修行目的を表していると気づいたのです。

 ウロコの付いた刺身を口にしたなら、ウロコを吐き出せばよい。
 それはそうです、その通りです。

 しかし、私は吐き出しませんでした。それを呑み込みました。
 萩原先生のご好意を思えば、それを無下(むげ)に吐き出すことなど出来なかったのです。つまり、私は「襲明」であり「容成」である道を選択したのです。
 そういう自分を私は、一種誇らしい気持ちで眺めることが出来ました。呑み込んで良かった!

 おや、待てよ・・・・・?
 襲明であり容成である道を選択したと、今言ったのだが、あの時、あの瞬間、私はウロコを吐き出そうとしたのではなかったのか?
 先生のご好意も何も、私は確かに吐き出す態勢を取っていたのではなかったのか?

【参考】鱗(うろこ)はしっかり取りましょう! → この鱗取り、あまりの高価に驚いて下さい。あなたの想像を超えてます。

 あの時、既に、異物を吐き出せという命令は、大脳中枢から発せられていた筈だ。その命令が神経を伝って、口内の筋肉に伝わり、今正に異物を吐き出そうとしたその瞬間に、萩原先生神妙の一言が発せられて事態は大逆転し、思わず私はウロコを呑み込んだのではなかったか。

 ならば、私が人生の修行目的たる「襲明」「容成」の道を選択したのではなく、萩原先生神妙の一言が、修行目的から逸脱しそうになった私の迷いを、大喝一声、吹き飛ばして下さったと言うべきではないか。
 あの一言こそ、合気の奥妙(おうみょう)を極められた植芝盛平先生の神武の技にも比すべき神業(かみわざ)ではなかったか。

 ウロコ一つ呑み込むことが出来ずに「容成」を名乗るなかれという先生の無声の声が耳に響く心地がして、それ以来、私は萩原先生を密かに畏れるようになりました。

 それ以来、私は、合気道場では後輩扱いしている萩原先生を、学問の師である以上に、人生の師として尊敬し始めたのであります。

(18) 容成グルメ三題(第三話)ウサギの頬肉を呑み込んで行き先を定めた話