赤とレッドは正反対(赤 ≠ Red)
Redと赤に違いがあるのか?
日本語のアップダウン構造に対して、英語はショートカット構造をしている、ということは、このサイトの記事で繰り返して述べています。そういう構造の違いではないのだが、英単語とそれに対応する日本語単語が、実は全く別物であるということがあります。
"Red"という英単語と、「赤」という日本語が、実は全く異なる例であります。
複雑な思想内容を表す概念であれば、英語と日本語の違いを論じたくもなりますが、まさか、"Red"と「赤」が別物であるとは、世の中の人々は全く思わないでしょうね。
しかし、"Red"と「赤」は、全然異なる別物です。むしろ正反対といってもよいほど、かけ離れています。
まことに驚くべきことですが、「Red = 赤」とするのは間違いであると言わねばなりません。「Red ≠ 赤」と受け止めておくのがよろしいのです。
赤信号(Red signal)で止まれ、は西洋の感覚
「赤は止まれ、青は進め」は、交通信号の常識です。しかし、この感覚は西洋人の感覚であって、日本人本来の大和(やまと)心にはなかった感覚です。
幕末・明治以来、西洋の文物、思想、感覚が日本に押し寄せてきまして、交通信号もまた、西洋の感覚に倣って「赤は止まれ、青は進め」となりました。
サッカーの試合で、審判にレッドカードを示された選手は、プレイを止めて退場しなければなりません。これも「赤(Red)は止まれ」の例ですね。
ところが、ヤマト民族(日本人のことですよっ!)本来の感覚に、「赤(Red)は止まれ」はありません。
むしろ逆です。「赤(Red)は進め」という意味にすらなり得たのです。
先の大東亜戦争では、日本にも徴兵制があり、国民はすべて徴兵に応じる義務がありました。軍隊が国民を徴用するには、1銭5厘の「赤紙」を送ればよかったのです。(「一銭五厘」とは、当時の郵便料金。百銭が一円。)
・「レッドカード」を貰うと、試合場から退場し根蹴ればなりません。
・「赤紙」をもらうと、戦場へ赴かねばなりません。
これは、全く正反対ですね。
「赤(Red)は止まれ」とは、西洋肉食民族の感覚
西洋人が、なぜ「赤(Red)は止まれ」という感覚を抱くにいたったのかは、おそらく彼らの肉食のせいでしょう。牛や豚を屠殺し、山野の動物を狩猟して食する民族にとって、赤(Red)の一語で先ず思い浮かべるのは血の色でしょう。
Red〔赤) →血の色 →危険 →「Redは止まれ」 →レッドカード(退場)
ところは、日本民族が「赤」と聞いて先ず思い浮かべるのは、太陽であり、お日様であり、アマテラス様であります。太陽が赤々と昇ると、暗闇が消え去り、すべてがアキらかになります。
「真っ赤なウソ」という日本語は、赤(アカ)、太陽、アキらかの流れで、ウソであることが隠しようもなくアキらかなウソということになります。
英語には、"White lie" という言葉がありますが、「白々しいウソ」ではなく、「罪のないウソ、軽いウソ」という意味です。 これもうかつに Whiteイコール「白」とは言いかねます。
闘牛の「牛は「赤で進め」か?
ちなみに、闘牛の牛は赤い布で興奮して突進するといわれますが、だったら、スペインの牛は日本人と同じ感覚かというと、さに非(あら)ず。
一説に、牛は色盲であって赤を識別できないとも言われてきました。最近の研究では、まったくの色盲ではなく、二色ぐらいは識別出来るとする研究もあります。
牛が赤を識別できるかできないかに関わらず、赤い布がひらひらするのを見て牛が興奮するとうのは、どうも納得出来ません。むしろ、闘牛の熱気と雰囲気に牛が感応して興奮し、興奮したから赤い布にとっしんしていくのではなかろうかと、私には思えるのです。
まあ、真実の程は、牛に聴いてみて下さい。
ともかく、肉食民族にとって、「赤」は血の色であり、血の色をみて(牛よりも)闘牛ファンが興奮するというのが、真実に近いのではなかろうか。
単語の背後に民族の思想が籠もる
このように、言葉というものは、それを使い続けて民族の思想感覚が籠められているものですので、表面の辞書的な対応だけでは済まされない違いがあることを、よくよく承知しておかねばなりません。
人間の視覚に対する光の波長という意味では、"Red"はすなわち「赤」であるとして差し支えないのですが、その"Red"や「赤」を文脈の中で使う段になると、たちまち言葉の背後の民族の意識が顔を出してくるのです。
だから、先ずは、英語は日本語とは違うということを、「Red ≠ 赤」として腹に収めておかねばなりません。
日本人ほど熱心に長期間、英語を勉強する国民もめずらしいのですが、また物にならないということでも有名です。その日本で、小学高学年から英語を教えることになりました。
英語を学び始める子供たちに、先ずは、英語と日本語とは、辞書の対応だけですっかり翻訳しきってしまえるものではないという、言語の真実を教えてやってもらいたいものです。
そこから進んで、日本語アップダウン構造、英語ショートカット構造にまで、話を進めもらいたいものです。
英語教師の皆さん、あなたの教え方一つで、子供たちは、どれほど心を開いて興味をかき立てることか、ようようお考えくださいませ。
【参考】 英語と日本語の違いについて面白い話が満載、目から鱗がボロボロと落ちる書。
▼ 内容解説→『日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造』