Pink ≠ ピンク(ピンクスリップを貰ってニヤリは誤解)

Pink ≠ ピンク(桃色)・英語と日本語は違う

 「ピンクスリップを貰った」と聞くと,大多数の日本人のおじさんたちはニヤリとするかもしれません。これは誤解です。

 "Pink" という英単語は、日本語の「ピンク」あるいは「桃色」とは全く異なる別物です。

 英語を学ぶ、そもそもの出発点で、英語(English)と日本語とは、異なる言語であるということを学習者に教え込むべきでしょう。それも骨の髄まで違うということを教え込むのがよろしい。その方が英語学習が進むのです。

 Pinkという単語の背後には、英語民族の意識が籠められています。
 ピンク(桃色)という単語には、日本民族の意識が籠められています。

 この背後の民族意識が、全く異なるのです。だから、Pink ≠ ピンク(桃色)だというのです。

ピンクスリップ(pink slip)を貰ってニヤリとするのは誤解

 例えば、"He got a pink slip."〔彼はピンクスリップを貰った。)と聞いて、ニヤリとするのは、日本のおじさんたちの誤解です、日本語の「スリップ」に、女性の下着の意味があり、さらに「ピンク〔桃色)」という日本語には性的な暗示が籠められているので、「ピンクスリップ」と聞いて日本のおじさんたちが誤解するのは無理もありません。

 ここでいう、英語のスリップ(slip)は紙切れのことで、伝票などもスリップと言います。

 英語のピンクスリップ(Pink slip)とは、実は、解雇通知のことです。ピンクスリップを貰ったとなると、あなたはもう会社に来なくてよいと言い渡された事になるので、ニヤリとなどしていられません。

PinkとRed ≠ ピンクと赤

 前記事「Red ≠ 赤(Redと赤は、正反対)」において、英語のRedと日本語の「赤」とが正反対にすらなり得る言葉であると述べました。

 Redの親せきがPinkですので、レッドカード(Red card) を出されると試合場から退場しなければならないのと同様、ピンクスリップ(Pink slip)を貰うと、仕事場から退場しなければならないのです。

 逆に戦前の日本では、「赤紙」(召集令状)を貰うと、戦場へ出掛けなければなりませんでした。

 それは、前記事の繰り返しになりますが、肉食民族にとって、Redという言葉で先ずイメージするのが血の色だからでしょう。
 Red〔赤) →血の色 →危険 →「赤信号Redは止まれ」 →レッドカード(退場)、ピンクスリップ(解雇通知)

 そういう流れで、Redの親せきであるPinkを使って、ピンクスリップ(pink slip)という英語になるのです。

 「ピンク」というカタカナ日本語は、もちろんpinkという英語の音から出来た単語ですが、その音と物理的な色という表面的な意味だけは日本語の中に取り入れられたのですが、単語の背後に籠められている民族の意識は、変わらずに残っているのです。

 日本人にとって、「赤」は、何よりも太陽であり、お日様、アマテラス様であり、生命力の象徴です。

 だから生命そのままのベイビーを「赤ちゃん」と呼んでかわいがるのです。

 「赤」の親せきの「桃色」も、生命力の充実ということから、性的な意味合いを持つようになったのでしょう。英語のpinkには、日本語の「桃色」の背後の意識は全くありません。英語pinkには、左翼がかったとうい意味すらあります。

日本語を話すサル

日の丸 小学生の頃に、学校の先生が、日の丸について話してくれました。
 日の丸は、白地に赤丸のスッキリとした国旗です。

 その先生は、この赤を血の色と受け取って、日の丸は白地を血で染めたいまわしい国旗だと、私たちに説明するのです。やれやれ。

 「赤」が血の色というのは、西洋肉食民族の感覚であって、日本人本来の感覚ではありません。この先生の社会の授業などは、実に重苦しいものでした。

 日本の教育現場で、日本人の先生が、日本人の子供たちに、日本語を使って、日本の国旗について、説明しているのですが、日本の国旗・日の丸が血に染まった図案であるとするこの先生が、本当の日本人だと思えるでしょうか。私には、少しばかり日本語を話すサルとしか思えないのです。

 日本の教育の現場、とりわけ公教育の現場には、こういうオサルさんたちがウジャウジャいるようで、園長さん、じゃなかった校長さんも大変でしょう。

 言語というのものは、単語一つの背後に、その言語を用いて生活する民族の意識が凝縮されているのです。

 日本語を話すのであれば、単語一つの背後に籠められている日本民族の意識を尊重して日本語を話してもらいたい。

 英語を学ぶのであれば、英単語一つの背後に籠められた英語民族の意識を尊重して、英語を学んでもらいたい。

 日本人にとって、「赤」は、太陽であり、お日様であり、アマテラスさまであり、生命力であり、真心(まごころ)の象徴です。赤は、真心(まごころ)なんです。

 昔の日本の「赤紙」(召集令状)は、血の革命を目指す「赤色革命」とその流れを受ける「赤旗」とは、まるっきり異なる日本民族の意識の産物なんです。

「赤紙」で国民を戦場へ駆り立てた、だから赤い日の丸は戦争の象徴だとする支離滅裂なる珍説を述べる「おサルさん」たちは、「赤色革命」や「赤旗」の背後の意識をこそ問題にすべきでしょう。といっても、おサルさんだから、しょうがないか。(正真正銘のホンモノのおサルさんたち、ごめんなさい。)

 赤い太陽が昇ると、暗闇が消えてすべてがアキラカになります。万葉集では「清明」という漢字を「アキラケシ」と読むことがあります。雄大なる万葉の一首を掲げて、記事を終えましょう。

 渡津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたぐも)に入日(いりひ)さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(あきら)けくこそ 
〔巻一・一五〕 天智天皇

【参考】この記事もお読み下さい。→ 「Red ≠ 赤(Redと赤は、正反対)」
【参考】 英語と日本語の違いについて面白い話が満載、目から鱗がボロボロと落ちる書。
 ▼ 内容解説→『日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造』