昔の日本人の知的レベル(西郷隆盛)

明治維新の志士、西郷隆盛が、一時期、沖永良部島へ流罪になっていたことがあった。志を遂げられないということは、志士にとってとてもつらいことであったと思う。

広さ4畳半の牢屋の中で、彼は読書に励み、漢詩と書道に打ち込んだという。また、牢の外では島の若者たちが西郷の教えを受けたという。有名な「敬天愛人」の言葉は、沖永良部島流罪中に生まれたそうだ。

(ヤフーニュース: 西郷、書の師匠は島役人!? 沖永良部島 流罪中に学ぶ 坦晋の書や蔵書 手本か)

上のニュースにもあるように、島の若者、坦勁が琉球で買い求めた漢書を西郷は借り受けて、その借用書二通がのこっているそうである。

それにしても、昔の日本人の知的レベルは相当なものであったろう。その時代、都を遠く離れた沖永良部島の若者が、琉球で漢書を買い求めるとはねえ。

私は、昔、高校教師をしていた人のお宅で、西郷自筆といわれる「敬天愛人」の書を拝見したことがある。

堂々たる筆致で、まことに西郷さんにふさわしい風格のある書であった。

今、連立政権に入って合意文書に署名した女性党首の文字があまりに幼いので、西郷さんを思い出した次第である。