(22) 翻訳にはウイスキーが必要だった

日本語の技術文書に対する怒り

昌原容成27歳の若かりし頃
昌原27歳、ウイスキーの世話になっていた頃

 私は、日本語の技術文書を英語に翻訳する仕事を、20歳から続けています。今年(2011年)で足かけ42年になります。

 20代から30代にかけては、私も若かった。
 原文の日本語に対してむやみに腹を立てていたのです。(左はその頃の写真。若ーい!)

 現場の技術者が書いて寄こしてくる文章は、時には殴り書きのようなものもあり、主語述語の関係など全く顧慮しない、むちゃくちゃな文章もありました。日本の技術者の日本語力は、相当にお粗末なものなんです。


 欧米では、国語(英語)教育にかなり力を入れていますので、教養ある技術者は、ほぼまっとうな英文を書くものですが、日本の技術者はそうはいきません。日本語表現を鍛えるという教育課程を経ていないのです。

 誤解しないで戴きたいのは、そういう日本の技術者が、技術者として無能力であるかというと、そうでありません。

 むしろ、彼らは優秀です。

 日本の技術者は、世界に冠たる製品を作り続けていますので、技術者としては一流なのです。

 ところが、文章をかかせると、「翻訳者の目から見ると」まことにお粗末な文章を書く。
 
 これは「翻訳者の目から見ると」ということであって、彼ら技術者の間では、たとえ符丁のような表現であっても、彼ら同士でコミュニケーションがとれるのであれば、製品を作り上げるのには何の支障もないのです。

 事実、彼らは、良い製品を作り上げている。
 つまり、彼らは、優秀な技術者である。

 しかし・・・・・・・。

 その符丁のような日本語を英語に翻訳するとなると、話は別です。

 その符丁のような日本語を翻訳するという立場に立たされた(というか、自分で進んで立ったのですが)青年翻訳者にとって、この無神経な文章は、まことに腹立たしい物でした。その無神経さが私の神経を逆なでするのです。

 そういうワケで、若い頃の私は、いつもいつも、原文(日本語)に対して腹を立てながら翻訳作業を続けておリました。

翻訳の必需品、ウイスキー

 そういう若き翻訳者にとって、ツヨーイ味方がありました。
 この味方こそ、翻訳の必需品。
 これなくして、翻訳を続けることはできなかったのです。

 この翻訳の必需品とは、ウイスキーでありました。

 ウイスキーを飲まずには、翻訳をつづけられなかったのです。

 つまり、ウイスキーを飲んで程良く酔うことによって、乱れた日本語に対する怒りを治めることができ、ただひたすら、翻訳作業に没頭することができたのです。

 勿論、飲み過ぎてはいけません。
 べろんべろんにならない程度で、翻訳マシーンになりきって翻訳作業を続けられる、そういう程度にウイスキーを飲むのです。

日本語アップダウン構造の発見もウイスキーのお陰か

 考えてみれば、日本語と英語の翻訳を長年続けてきたお陰で、私は、日本語の根本的構造である「アップダウン構造」を発見できました。

 それは、つまり、幾分かは、ウイスキーのお陰でもあるワケです。

 もう一つ申し上げると、あの神経を逆なでするようなお粗末な日本語を書いて戴いた技術者の皆さん、あなたたちが私を苦しめてくれたお陰で、私は日本語の精髄に迫ることができたのです。

 また、日本語アップダウン構造に行き着いた地点から、日本語の技術文書を眺めて見ると、それはそれで、日本語の特性として柔らかに受け止められる点も多々あると気付きました。とはいうものの、日本の技術者の文書表現能力は、英語世界と比較して、少しお粗末であるという点に変わりはありません。日本の学校教育では、論理的文章のライティングなど教えていませんからね。これは、問題です。

 閑話休題(それはさておき)。

 今では私は、ウイスキーさんに感謝申し上げるとともに、日本語表現能力が少々お粗末ではあるが良い製品を作り続けておられる日本の技術者さんたちに、深く感謝申し上げているのです。

 日本の技術者さん、ぼくを苦しめて戴いて有り難う。
 ウイスキーさん、その苦しみを和らげて戴いて有り難う。