【神道09】神伝・太祝詞と解文 (日垣宮主・著)

1.太祝詞(ふとのりと)とは

 古来、日本神道に伝わる大祓(おほはらへ)祝詞に、

   天津祝詞の太祝詞(ふとのりと)ごとをのれ。かくのらば、・・・
 とある。

 つまり、「太祝詞を奏上しなさい、奏上したならば」と書いてある。
 太祝詞と書いてはあるのだが、太祝詞の中身については何も伝えられていない。

 その太祝詞を創造神界から引き出して来たお方がいらっしゃる。

 日垣宮主(ひがきみやぬし)師である。

 この太祝詞は、これまで「神道学門処・日垣の庭」の会員のみに伝えられていたのだが、この度、太祝詞の本文に宮主師の解文(げぶん)を付けて小冊子となし、広く希望者に頒布することとなった。

2.人も神も太祝詞の力を活用する

 『神伝 太祝詞と解文』は、たかだか20ページの小冊子であるが、そこに含まれる言霊の秘奥は、人間がそれを活用する事は勿論、神々もまた、その太祝詞の力を活用なさるのである。

 人間が産土神前でその太祝詞を奏上するならば、その人間に秘められた水の力、火の力、風の力、その他の創造神力が爆発し、その爆発神力を産土神がお使いになる事ができる。

 太祝詞の本文だけではなく、その解文もまた、言霊の神力に満ちている。

 その解文を声を出して読み上げるならば、神霊方もそれを学ばれるであろう。

 それゆえ、産土神前で、祝詞を奏上すると共に、解文をも声に出して読み上げることをお勧めする。神霊方がどれほど感謝なさることか。

3.産土参拝は太祝詞を持って

 産土神社に参拝して、人は何を祈るのであろうか。
 商売繁盛、家内安全、それはそれで人間生活に必要である。

 しかし、たまには、せめてたまには、自分の願い事はさておき、産土神の御働きをお助け申し上げると言うほどの心映えを産子(うぶこ)としては持ちたいものである。

 そういう心映えを表したいと思うのであれば、太祝詞を持って、産土参拝なさると良い。太祝詞の神力を産土神に活用して戴くのである。

 また、己自身の格別の祈願があるという場合、その祈願は果たして神界にまで達するものであろうか。簡単に祈願が通るものであろうか。

 人それぞれと云わざるを得ない。
 そういう場合も、祈願の後に太祝詞を奏上するとよい。

 いわば、その祈願を神界にまで運んでくださる舟が、太祝詞によって生み出されると言えよう。

 ただし、人間として真っ当なる祈願をなさることが肝要であることは勿論である。
(この点については、「産土神の霊験記(2)産土参拝と人間神力で霊群を鎮定」を参照して戴きたい。)

 要するに、産土参拝の必須アイテム(たまには英語も使います)として、この小冊子『神伝 太祝詞と解文』をお勧めする次第である。

4.一人一冊、太祝詞を

 小冊子『太祝詞』を一家に一冊、と申し上げたい処だが、いやいやそれでは不十分。

 この小冊子『太祝詞』は、一人一冊お持ち戴きたい。

 夫婦に子どもが3人いれば、合計5冊をお求め戴きたい。
 そしてそれぞれの冊子に持ち主の名前を書いて戴くのがよい。

 実はこの小冊子は生きている。
 持ち主の波動に感応して、持ち主の『太祝詞』となる。

 私が持つ『太祝詞』と家内が持つ『太祝詞』は、すでに違う。感覚を研ぎ澄ませれば、その違いが感覚出来る。
 この小冊子は、真実、生きている。

 さらにまた、『パワーかフォースか』で紹介されている意識指数をトランスペース研究所で測定すると、この『太祝詞』の意識指数は、1000(最高)となる。

 全編、言霊の神力に充ち満ちているので当然と云うべきか。
 普通、神社で授けてくださるお守りも、1000は先ず見あたらない。この小冊子に添えられた解説文に「所持するだけで太祝詞の神徳が働き人生に光をもたらすことであろう」とあるのは、けだし当然であろう。

 何しろ、『太祝詞』は、普通のお守り以上の意識指数を持っているのであるから。

 一家でそろって産土参拝となれば、イクサに向かう侍が刀を持って出かけるように、太郎も次郎も三郎も、自分の『太祝詞』を持って勢揃いするとよい。

 各人の魂の籠もる『太祝詞』を持って、産土神前で声をそろえて太祝詞を奏上するとよい。
 出かける時は忘れずに・・・太祝詞を持って出る。
 一人一冊、『太祝詞』を、と申し上げる所以である。

5.太祝詞は無心に奏上するもの

 小冊子『太祝詞』を入手したいと希望される方は、日垣の庭に直接お申し込み戴きたい。

 ただし、太祝詞は無心に奏上するものである、ということを申し上げておきたい。

 実は過日、ある希望者にこの小冊子を送ったところ、
  「私には意味が分かりませんので返品させて下さい」
という申し出があった。
 意味が分からない・・・オイオイ、祝詞は意味を解釈するものじゃないだろう。
 ひたすら唱えるものだろう。

 何とまあ、風流の度が過ぎた申し出であった。
 あまりに度が過ぎると、対応するこちらの力が抜けて笑うしかなかった。
 返品されてきた小冊子を観ると、やはり既にその人のものになっている。
 それぐらいは気にしなくてもいいのかも知れない。

 しかし、その違いが分かるという立場から申し上げると、その返品小冊子を他人さまに回すことは出来かねる。したがって、丁重にお焚きあげした。

 今後、同様の申し出に応じることはない。風流の度が過ぎたお方は、決してこの小冊子を申し込まれないようお願いする。
 祝詞というものは、意味を解釈するものではない。

 ひたすら唱えるところに、祝詞の言霊が働くのである。

 解文も同様、ひたすら声をだして読み上げることである。

■『神伝 太祝詞と解文』(日垣宮主著)■
次に此の本をお讀みになる時 音讀 することをすゝめるのは此の本全体が生きものになって讀む人の人生を内部から豊潤にするからである。

大切に取り扱うなら所持するだけで太祝詞の神徳が働き人生に光をもたらすことであろう。
(『神伝 太祝詞と解文』の正しい読み方より)
新書判・20頁・本体価格1,200円

 ご希望の方は、直接、日垣の庭へお申し込み下さい。
 → 神伝 太祝詞と解文(日垣の庭)