感想5・ありがとう、すみません、に初めて気付く(小寺正起)

日本語は神である・読者感想文 感想文の作者・小寺正起(こてら・まさき)さんは、NLPセミナーの開催や心理カウンセリングなどをなさっているお方です。『日本語は神である』が長く絶版状態になっていた頃、小寺さんはそれでも読みたいと私あてにメールを下さり、その意気込みに感じて旧版を一部頒けて差し上げました。どういう分野にしろ活躍なさっている人は、すべてに意気込みが違います。
 小寺さんから戴いた感想文を以下に記します。タイトル『「ありがとう」や「すみません」に初めて気付く』は私が勝手に付けさせていただきました。引用ページ数は新版のページ数に改めました。その他はそのままです。きちんとお読み戴いて、きちんと感想文を書いていただいていますので、小寺さんの人柄がよく表れているように思います。

(日本語は神である)「ありがとう」や「すみません」に気付く(小寺正起)

 本来、文章を書く時は起承転結等で書くのでしょうが、今回は本の初めからきになっている所の感想を書いていこうと思います。
 文化の違いによる「ありがとう」(P.21)や「すみません」(P29)を改めて教えていただくと、これほど違うものかと思いました。特に「すみません」は、英語では3種類の英語に変わることはこうやって文章にしていただいて初めて気づくものではないかと思います。

 「あいまいさ」(P.44)についてですが、今、「KY」(空気が読めない)という言葉がありますが、日本独特のものであると思います。日本人は世界の人から見てその場の奮囲気で動く、意見を変えるので恐いというのを聞いたことがあります。本当は自分はNOであるにもかかわらず、はっきりNOと言えずにまわりに合わせてしまうこともその場の理由の一つかもしれません。

 日本人の宗教意識(P.45)に関してですが、日本人が宗教を持とうをしないのは、死が身近で、無くなったことも影響しているのではないでしょうか。家で誰かが死ぬと隣組といって町内総出で葬儀に取り組んでいたり、仏壇のある家が多かったのですが、マンションが多く出き、マンションに仏壇がある家は少なくなってきました。
 また家の都合で兄弟で、立場の強い兄弟が弱い者に仏壇の管理を任せたり、本当は自分の家に仏壇があり毎日拝むことができるのはそれこそ今では、「有り難い」ことになってきているのに、困る人が実際にいるというのを聞いたことがあります。
 他にも理由がたくさんあると思いますが、こうなると悲しいことではありますが、宗教意識が希薄になっていくことは止むを得ないと思います。
 また、私の家には仏壇があり毎日朝晩手を合わせています。手を合わせるその向こう側にはかつて生きていたご先祖様がいることを実際に思いながら手を合わせています。ですからそうやって実際にやっている者とやっていない者では意識が違うと思います。

 日本語は神主構文(P.86)ということですが、日本には家中の色々なところに神様がいると言われていました。敷居には敷居の神様、トイレにはトイレの神様、だからあえて宗教を持とうを思わないのではないでしょうか。
 また、元々、ひなまつりや他のお祭り等は、元を正せば豊作等を神様に祈っていたもので、そういうことが、昔は無意識に身についている中で日本語を話しているので、神主構文的なものになっていったのではないでしょうか。

 「ハ」は展開や広がり行くハタラキがあるということですが、「パ」も、内から外へと広がっていったり、大きくなったり、印象がよくなる働きがあると思います。※落ち込んでいる人を飲みに誘う時にただ飲みに行こうというより、「パッ」と飲みに行こうと言った方が、気持ちが広がる、大きくなるような気がします。
 また、グリコのヒット商品には、「パピコ」「プリッツ」「ポッキー」等、パ行が使われています。※以下内容は『ホンマでっかTV(フジテレビ)』

 日本語には過去時制がないこと(P.180)についてですが、私達は小さいころから過去(時制)はあると教えこまれてきたので、先生のお話を知らない人は、日本語には過去時制はないということは理解できないかもしれません。
 日本語は永遠の今ということですが(P.189)、これもNOWと今とは文化の違いで、私が思うには、今というのは今と思った瞬間んも過去となり、一秒前の今は現在の今になります。つまり、過去、現在、未来は今の連続ではないでしょうか。
 ですから、そういう意味で、私は日本語には、過去も現在も未来も含まれていると思います。

 理性と直観の話ですが(P.208)、外国人は知りませんが「そうだぁーっ!」と思うには、経緯があると思います。人間の脳には、色々な脳があります。大脳新皮質・思考や辺縁系・感情・脳幹・本能等があります。「そうだぁーっ!」と思う直前には、たぶん、思考は止まってしまっていると思います。例えば五感のうち、資格を失った人は、その失った分、他の感覚がさえるということがあります。脳も思考(大脳新皮質)が一時止まると他の部分がより活発になり、記憶とのつながりの深い辺縁系が活発になり、過去の経験を思い出したり、脳幹が活発になり、本能、私はこの部分は、私は、ユングの言う所の集合無意識とつながっていると思います。この脳幹の部分がみんなとつながっている誰かから答えをもらうことによって、「そうだぁーっ!」となると思います。つまり、脳がそれぞれ助け合っていながら、働いていると思います。

 KJ法(P.227)の私の理解では、一見、なんの関係もないもの同士をグループ化していくことだと思います。つまり、三輪車と飛行機は大きさも機能も一見なんのつながりもグループ化もできない様に思いますが、「乗り物」というくくりでグループ化ができます。

 最後に先生の知識量といいますか、情報量の多さにはただ驚いてしまいます。特に、日本人の脳の特異なハタラキの所の 角田忠信教授のコオロギの声に対する脳反応の西洋人と日本人との違いなどは、調べた結果出てくるものではなく相当の本を読まないと出会えないと思います。多くの脳に関する本は、左脳がロジカル、右脳はイメージが基本にした書かれていません。特に声や音楽は右脳であると書かれてある本が多いです。

 あと、先生は本には書いておられませんがチョムスキーの生成英文法も先生のお考えの中に入っているのではと私は思います。
小寺正起 

昌原から一言
 チョムスキーの生成英文法は、私は学んだことがありません。
 小寺さんがそうおっしゃるということは、何か私の頭の中に生成英文法に似たものがあるのかも知れません。折りがあれば、チョムスキーも学んで見たいと思います。
 小寺さん、ありがとうございました。