秋二題(1) 秋風や白木の弓に弦はらん・・風地観「てあらいて薦めず」

秋風や白木の弓に弦はらん (向井去来)

秋になると必ず思い出す一句である。
去来は芭蕉の弟子、蕉門十哲の一人。芭蕉をして「汝は去來、共に風雅をかたるべきもの也」と言わせしめた人である。
武士として武芸に優れていたのだが、若くしてその身分をすて、京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住んだ。

あれほど酷かった猛暑も、四季の巡りを得て秋風の吹く頃となった。
さあ、武道稽古を始めよう。白衣に着替えて道場に端座し、弓に弦をはる。

秋風と、白木と、弓と、そして白衣とが、これから稽古に臨むという清々しくも緊張した心持ちによってさわやかにイメージ化される。武道をたしなんでいた去来にして始めて詠めた句であろう。
これほど稽古前の心持ちを見事に表現した名句も少なかろうと思う。



易の風地観(ふうちかん)の卦辞に「てあらいて薦めず」とあるのは、この去来の一句に通ずる。
「てあらいて」とは祭りの前に手をあらってということ、「薦めず」とは、まだ祭りが始まっていないので、お供えを神霊に薦めていないということ。つまり、祭りの前に身を清めて準備をしているのだが、まだ祭りは始まっていない。その凜として清々しく、緊張した心持ちである。これから祭りが始まるという、ひとときの緊張感。いつもながら、これが堪らない。

有孚(四條畷神社)
有孚顒若(四條畷神社)
 風地観の卦辞は続けて「まことありてギョウジャクたり(有孚顒若)」とあり、祭事の前の慎み敬う心のあり方を示している。

神社などでよく見かける「有孚顒若(ユウフギョウジャク)」とは、易の風地観から採った言葉である。
「ギョウジャク」(顒若)とは、偉大なるものを仰ぎ見て畏れ慎むということ。まこと心をもって、神霊を敬い慎み、これから参拝をいたしますという心が「有孚顒若」である。(左は四條畷神社の「有孚顒若」の石柱。)

「まことありてギョウジャクたり」は、祭事の前も、武道稽古の前も、同様である。

夏の暑さで武道稽古から離れていたのだが、秋風の吹く頃になると決まって思い出すのが、去来の句と風地観の卦辞である。
さあ、白衣に着替えて、「てあらいて薦めず、有孚顒若(ユウフギョウジャク)」。
いざ、杖木刀を取りましょうぞ。

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