水の心は生きている(稲蔵新生祭)
(注記:これは2004年4月10日の記事)
昨日(4/9)、生駒市の稲蔵神社に日垣宮主師をお迎えして、稲蔵神界新生の戸を開き奉る祭祀を行った。
祭祀に先立ち、宮主師の指示により、拝殿の右横に流れる水流の掃除をした。
丘を伝って流れる水が小さな溜まりを作っているのだが、その溜まりの中にヘドロが積もって悪臭を発していた。
そのヘドロを取り除くと、にわかに水流が益して、せせらぎの音を立てだした。
この水は、今までどこに眠っていたのか。
お水さんも流れ出したくて仕方がなかったに違いないのだが、ヘドロが積もっている状態では、流れるに流れない。やむなくチョロチョロと心細い流れをつないでいるに過ぎなかったのだが、さわやかに清掃した途端に待っていたように水流が増大した。そして、これまで聞こえなかった水音をたてる。
水というのも確かに生きていると実感出来る一事であった。