誕生日に産土神に感謝して(会員のメールから)
トランスペース友の会の会員からメールを戴いた。
「今日は、雨水、私の誕生日でもあり(42歳の厄年)産土様に感謝してから床に入ろうと思っております。」
わが友たちの言葉には、しばしば感心させられるのだが、このメールも甚だよろしい。
先ず、二十四節季の「雨水(うすい)」に言及されたのは、季節の移り変わりを愛でる日本人の心性として共感できる。
雨水が過ぎたら、次は啓蟄(けいちつ)。この啓蟄の頃が私は一番好きである。
間もなく春が訪れるという時期、思いだすのは島崎藤村の「草枕」の一節
「まだ白雪の積もれども 若菜の萌えていろ青き 心地こそすれ砂の上(へ)に」
であり、「早春賦」(吉丸一昌・作詞)の一節
「春は名のみの風の寒さや」である。
次に友のメールで感心したのは「産土さまに感謝して」ということである。誕生日には何よりも父と母と産土の神に感謝を捧げるというのが、人間の基本と申し上げるべきであろう。
ややもすると、誕生日とはプレゼントを貰う日だと勘違いしている子ども達が、いかに多いことか。それは大人たちの責任である。
大人たちが、誕生日とは周りの人々が自分を祝ってくれる日だとのみ考えているから、子どもたちはまた、周りの人達からしてもらうことしか考えなくなる。
かってアメリカのケネディ大統領は、就任演説でアメリカ国民に対してこう言った。
「国があなたに何をしてくれるかを考える前に、あなたが国に何を為すことが出来るかを考えたまえ」
ケネディの言葉は、アメリカの名言集などには必ず挙げられる言葉であり、しかもベスト3にはいる名言である。
日本の子どもたちよ、そして子どもを育てる責任を持つ大人たちよ、よいものはアメリカからも学び取り給え。
誕生日には、誰が何をプレゼントしてくれるかと考える前に、自分はどなたに対してどのように感謝の心を表すかを考え給え。
自分の誕生日とは、自分が、父と母と産土の神に対して感謝の心を表す日であると、腹に収めていただきたい。
それが自分の存在の根っこに栄養をあたえる行為であると知ることである。
父と母と産土の神