数字の名前、億、兆、京、その次は?

数字の名前をどこまで知っているか

 大きな数をどこまで表現できるでしょうか。

 数字を使って、1掛ける10の何乗という表現をすれば、どこまでも無限に表現できます。そうではなく、億、兆、京(けい)のように、いわば「数字の名前」でもって、どこまで表現できるのか調べてみましょう。

 江戸時代に吉田光由が著した和算書『塵劫記(じんこうき)』(寛永4年、1627年)に、数字の名前が書いてあります。

 この『塵劫記』は、当時のベストセラー、ロングセラーとして長く人々に読みつがれて来ました。江戸時代の数学の入門書であり、また実用書として、関孝和などの和算家はもとより、町人百姓たちにも広く読まれてきました。

 今の日本人は、億の次は兆であると知っている人は多いが、兆の次が京(けい)であると知る人は、かなり少なくなるのではないでしょうか。

 文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータを「京(けい)」と称しているのは、計算速度が毎秒1京回のためであります。
 ちなみに、この「京(けい)」を英語では K computer と称します。

 今の日本人は、大体がこの京(けい)どまりで、京(けい)の次の「数字の名前」を知る人は少数派と言ってよいでしょう。江戸の人々に倣って、『塵劫記』にある「数字の名前」を学んでみましょう。

塵劫記にみる数字の名前

 塵劫記に記載の「数字の名前」を列挙します。一から万までは、一桁(10の1乗)毎に、数字の名前が切り替わりますが、万から億以降は、四桁(10の4乗)ごとに数字の名前が切り替わります。

 つまり、千万を超えて万万が億、千億を超えて万億が兆となります。これを「万進(まんしん)」といいます。
 以下の数字の名前は、「万進」によるものです。
 
  一(いち)
  十(じゅう)
  百(ひゃく)
  千(せん)
  万(まん)
  億(おく)
  兆(ちょう)
  京(けい)
  垓(がい)
  秭(し)
  穰(じょう)
  溝(こう) 
  澗(かん)
  正(せい)
  載(さい)
  極(ごく)・・・

 一体、どこまで続くのでしょうか。「極(ごく)」が出て来たので、もう極まったのかと思うと、さに非ず、まだまだ続きます。

  恒河沙(こうがしゃ)
  阿僧祇(あそうぎ)
  那由多(なゆた)
  不可思議(ふかしぎ)
 ついに、意識極まって、
  無量大数(むりょうだいすう)。

 人間が、那由多(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうだいすう)という数字を扱うことはなかろうと思われます。これはもう、宇宙創造の神々の意識における数字というほかありません。

 江戸次代の庶民が『塵劫記』によって、こういう「不可思議」なる数字の名前に接することが出来たということが、素晴らしいと思いませんか。

 小さな子供たちが、恒河沙(こうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由多(なゆた)、と唱えて数字の名前を覚えている様子が眼に浮かぶようです。そこから、大いなる存在に対する畏敬の念が生まれるのではないでしょうか。
 拙著『日本語は神である』に数の不思議について書きました。

日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造 ついに、意識極まって、
  無量大数(むりょうだいすう)。
 もうこれ以上、数えることは出来ません。
 数えることが出来なければ、日の本の古代人の心に立ち返って、「ヨロヅ」と言えばよろしい。
 日中の空は、蒼蒼と澄み切っています。夜空には、無数の星が煌めきます。一体、夜になるとどこから出て来るのでしょうか、この星の数、かず、カズ。とても数えることは出来ません。
 これを、夜出(ヨロヅ)と言います。
 古代人のヨロヅの感覚に立ち返って下さい。満天を埋めて燦然と煌めく星の群れの喩えようの無い美しさ、その不可思議、その驚異の感覚を、あなたの心に蘇らせて下さい。
 その、ヨロヅの感覚に立って、森羅万象、ヨロヅノモノを眺めたとき、あなたの心の奥底から、油然と湧き上がって来る感覚があります。
 アリガタイッ!
 この世は、実に美しく、驚異に満ち、不可思議極まりなく、人間の思量を遥かに超える数によって成り立っておりました。
(日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造 昌原容成・著 P. 26)

 子供たちにこういう数字の名前を教えてあげることも、子供の心を育てる一助になるでしょう。 お父さん、お母さん、小学校の先生方、江戸の子供たちにならって、那由多(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうだい)までを教えてあげてくださいませ。