十一月は来年の運命が定まる月
十一月の日次祭は、格別
今日は11月1日。
毎月一日には、日次祭(ひよりさい)をお仕えしている。
旧暦朔日(ついたち)には、月次祭(つきなみさい)をお仕えしている。
十一月の日次祭は、格別である。
それは、十一月という月が、来年一年の運命がつくられるという月であるからだ。
旧暦十月を神無月という。出雲では、神在月(かみありづき)という。
日本全国の国魂の神、産土の神が、出雲に集結なさると言われる。
出雲といっても、実はこの世の島根県出雲地方でない。あの世の出雲神界である。
出雲神界に全国の国魂・産土の神が集結なさって、新生の神気充填なさって、それぞれの国土地へお帰りになる。
新生の神気充填とは、つまり、来年一年の運気の流れを含んでのことである。
旧暦十月は、いわば神々が故郷へお帰りになり、イザナギ大神から故郷の神気をたっぷりいただいて、新しい一年を作り出すという準備に入る月。
十一月という月が、来年一年の運命がつくられるという月であるとは、そのことを踏まえている。
一つとして同じ祭りはない
石笛(いわぶえ)を吹く。
その音色が、スーッとどこまでも通っていく。
その音色に載せて、神つみよさしが現れていく。
そのような心地のする日次祭であった。
美剣(みつるぎ)を振る。
その美剣の先には、玉鉾(たまほこ)がある。
玉鉾とは、大きなガラスの器に水をたたえ、中にガラス瓶に入れたろうそくを灯し、
その上に三本の矢を立てて、矢には稲を結んである。
繰り返し、繰り返し、同じような祭りをお仕えしているようではあるが、
その実、一度としておなじ祭りはない。
毎月、毎月、やってくる日次祭。
毎年、毎年、やってくる十一月。
しかし、一つとして同じ日次祭、同じ十一月はないのが道理である。
十一月に秘められた来年一年の展開は、いかなるものであろうかと、
少しばかり心時めく想いがする。
十一月様、どうぞよろしく。