筆録(15) 人を導かないと決意して
人間は多種多様
私は、これまでの人生で、色々な人と出会いました。
この色々が、まあ、想像も付かないような広がりがありまして・・・。
人だけではない、高貴なる神霊もいらっしゃれば、真に低劣なる憑依霊群もいる。
また、人霊ばかりとは限らない。狐霊、蛇霊、動物霊は、言うに及ばず、まことに何とも名状しがたい生き物が、この宇宙にはわんさと存在している。
まことに、まことに、多種多様です。
とりわけ、人間という生き物は、千差万別にも程があると申し上げたいほどの、千差万別ぶりを表している。
五十年、身近にいた人間が、五十年たって初めて、その本性を現すということもあります。六十年経って初めて、その人間の本性を垣間見るということもあります。
というよりも、私が、五十年たって初めてそれを認識できたというべきですが。
とにもかくにも、人間は多種多様にして千差万別。
その人間たちが、それぞれに自分の生き方を持っている。
それぞれに、自分の世界を持っている。
人を導かないという決意
そういうまことに多種多様なる人間たちと付き合いをしてくるなかで、いろいろなことを学びました。
その学びから得たものの中で、とても重要なことが一つあります。
それは、私は、「人を導かない」と決意しているということです。
「人を導かない」ということは、私の生き方の大原則です。
導くことと、ハナスこと
それでは、トランスペース研究所は、何のために存在するのか?
人を導かないのであれば、このサイトも必要ないのでは、とお考えになるかも知れませんね。
しかし、私は、人を導くことは致しません。
道・引かないのです。道を引かないのです。
あなた、こちらへ来なさいといって、こちらへ引っ張らないということです。
私は、道を引くことは致しません。引っ張ることは致しません。
ただ、話すことはあります。
話(ハナ)した後で、手を放(ハナ)します。
決して引っ張りません。
導きはしませんが、話すことは話します。
話(ハナ)した後で、手を放(ハナ)します。引っ張りません。
後はご自由になさいませ、と放(ハナ)してしまいます。
人間は自由だ
人間は、まことに自由なる存在です。
神仙の世界、龍神の世界は、一から百まで、厳しい神律の世界とか。
仙人・竜神の世界に、人間が考えるような自由はありません。神律あるのみです。
ところが、人間に限って、無限の自由が許されている。
人間ほど、自由なる存在はないのです。
神様方といえども、人間の自由意志を尊重なさるというのに、一個の肉体人間である私が、他の人間の道を引くなど、できるものではありません。
それは、時には、己の驕りでしかないこともありますでしょう。
人生五十有余年にして、私は、そのことを深々と、骨身にしみて知りました。
自由なる人間たちよ、自由に生きられよ。
ただし、その自由なる選択が、あなたという人間を表現しているということをお忘れなく。
何を選択するかということが、あなたの人となりを表しているということをお忘れなく。
人を導かないという決意とは、こういう訳でございます。