力(チカラ)は血から

2018年4月14日

昨日の日記に「血の球の響きが人格を形成している」と述べた。
父母の力(血の球の力) 昌原気ゆる日記

更に言うと、人間のチカラは「血から」響きでる。

体中を流れる血液、その血球には、肉体を支える力とともに、先祖につながる精の力即ち氏神の力も秘められている。(火継祭りの記事参照)

先祖のみたま祭りを行うのも、血球の流れを整えて、精の流れを整えて、生きる力を逞しく我が身に収める為である。

「いや、うちの先祖はもう迷っていませんので、祭りの必要はありません」というのは考え違いである。
立派な先祖であれば尚更、この世に生きる子孫が精の流れを整えて、血球から響き出る力を充実する為にこそ、みたま祭りを行うべきであろう。

血からチカラが湧いてくる。
そのチカラを正しく祭ることが、先祖のみたま祭りとなる。

神霊は先ず神主に降臨する

神祭りをする際に榊等のヨリシロを立て、そこに神霊の降臨をお願いする。
神霊は分魂をあらわしてその場に降臨される。

その際に、神霊は実は、直接ヨリシロに降臨するのではない。
先ずは、神主の肉体に降臨するのである。
神主の肉体を通過してヨリシロに降臨するという鉄則がある。

神主の肉体を流れる血球にまず寄りつき、そこから榊などのヨリシロに移るのである。
その神主の血球が、悪食、悪想念でドロドロに濁っていたら、神霊の光臨はありえない。

だからこそ、神主たるもの、血球を清らかに整え、精の流れを整える必要がある。
神祀りのチカラは血液から湧いてくると知るべきである。
神祭りの力(チカラ)は血からわくものである。
力(チカラ)は血からである。

【参考記事】婿養子には火継ぎ祭りが必要(血筋の乱れを防ぐ)

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 日本語の奥に神が隠されていました。
 日本語を使う日本人は無意識のうちに神とつながります。
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