【篤姫09】篤姫テスト(2)養父・島津斉彬は薩摩の殿様か?
島津藩主の絶大なる権力
篤姫の実父、島津忠剛(ただたけ)は、藩主の一言で恐れおののき自ら謹慎して沙汰を待つということがありました。
ドラマ「篤姫」では、長塚京三が演じる忠剛が、謹慎でひげ面を表していましたね。
篤姫の生家である今和泉島津家は、島津本家の分家であるとはいえ、藩主に対しては家臣であり、藩主と家臣との隔たりはまことに大きなものがありました。
島津藩のように大藩ともなりますと、藩主の存在は雲の上のようなもの。
それをふまえて、篤姫テスト(2)にチャレンジしてみてください。
篤姫テスト(2)斉彬は薩摩の殿様か?
英明の誉れ高い、島津斉彬が藩主の座に就いて、ほっとした肝付尚五郎(瑛太)や西郷吉之助(隆盛)が、斉彬を褒め称えます。
ところが、彼らの言葉遣いにおかしなところがあります。それはどこでしょう?
肝付:左様、天下にならびなき、殿様でごわす。
どこがおかしいか、わかりましたか?
わからなかったお方は、大名についてお勉強してみましょう。
島津家は国持大名
一万石以上を大名というのですが、そのうち十万石に充たない大名を、小大名といい、十万石以上を大大名といいます。
また、大大名の中でも、一国以上を領有する大名を、国持大名と云いました。
島津家は、薩摩と大隅(おおすみ)の二国を領有する国持大名であり、加賀百万石に継ぐ、七十七万石の大大名であったのです。
殿様という呼び方は、小大名および一万石以下の直参旗本などにも用いられ、ご存じ旗本退屈男、早乙女(さおとめ)主水之介(もんどのすけ)なども大名ではありませんが、お殿様と呼ばれていました。
国持大名の藩主は、殿様とは呼ばず、太守(たいしゅ)様と呼ぶ習わしがありました。
従って、西郷や肝付が
我らが殿様は・・・
と述べることはありませんでした。
宮尾登美子の『天璋院篤姫』でも、島津藩主を太守様と呼んでいますね。
まあ「お殿様」の方が広く人々に知られていますので、NHKの大河ドラマでも出演者に「殿様」と言わせたのでしょう。
しかし、大河ドラマを通じて歴史に興味を持ち、歴史を学ぶ人々が増えることでしょうから、ここは少々説明をいれてでも「太守様」と呼ばせる方が、大河ドラマの値打ちが出ると思うのですが、いかがでしょうか。