(25) 師匠に学ぶということ(末廣業太郎君と)

末廣業太郎(ごうたろう)は合氣の友

合氣演武道
取り:吉田朋子(現姓・井上) 受け:筆者
 末廣業太郎(ごうたろう)とは、まことに雄大な名乗りである。彼は、数ある合氣の友の中でも忘れることの出来ない格別の友である。

私が大阪教育大学合気道部で合気の稽古に励んでいた頃、彼は関西学院大学(関学)合気道部で技を磨いていた。共に主将を努め、交流稽古も数多く経験している。

しかし、卒業後の40年ばかり、彼とは音信がなかった。
長く音信のなかった業太郎ではあるが、私の甥や姪たちは、彼の名前をよく知っている。私が彼のエピソードをよく話して聞かせたからだ。

そのエピソードは、懐かしい人々の名前と共にこの筆録に収めておかねばなるまい。
主題は、「師匠に学ぶということ」である。

全国演武大会の優勝をかけて

末廣業太郎と私とは、お互いの技量を認め合って共に合気の道に精進する仲であった。
私達が4回生の秋、全国学生演武大会が開かれた。私は秘かに優勝するつもりでいた。業太郎も優勝するつもりでいた、というよりは、名門関学合気道部の名を背負って、何がなんでも優勝しなければ周りが承知しないという切羽詰まった状態であった。

こういう話をまだ幼い甥や姪に聞かせると、彼らが決まっていうのが、末廣の苗字と相まってゴータローとはまことに強そうな名前だということだ。おまけにゴータローは私よりも背丈が低いが筋骨隆々のゴリラのような男だと言ってあるものだから、子供たちは喜んで、まるで熱血少年小説の主人公の敵役、ゴリラのような末廣ゴータローというイメージを抱いて、大いに盛り上がっていた。強そうでワルソーというわけだ。主人公というのは勿論、私のことである、あはは。私の周りでは、ゴータローは結構な有名人である。

演武大会は、結局、末廣業太郎君の優勝と決まり、私は二位に甘んじた。末廣業太郎君は、その生来の天分と名門関学合気道部の過酷な稽古とが相まって、まことに迫力のある技を身につけていた。彼の優勝に異存はない。

優勝を逃して落胆した私は、その夜のうちに、主将の座を次代の峯田清隆君に譲った。副将は宮崎文夫君。この二人が演武会で私の受けを努めてくれたのである。

峯田清隆君は剛毅と繊細を併せ持つ好漢であったが、既に鬼籍に入って数年経つ。今は宮崎君と懐かしく思い出を語るのみである。合気の友よ、安らかなれ。

宮崎文夫君は、芳醇なる人格者で昨年小学校の校長職を定年退職したが、今も合氣の稽古を続けている。峯田・宮崎両君にとっても、末廣業太郎君は忘れがたい人物であろう。

ともかく、私と末廣業太郎とは、そういう仲であった。互いの技量を認め合っていたのである。

末廣業太郎と古流武術を学ぶ

私達が師事していたのは、小林裕和師範であった。
小林師範は、配下の大学の主将副将クラスのみを集めて、他の師範を招いてその技を学ばせるという機会を何度か作ってくださった。

自分の弟子たちに、他の師範の技を学ばせるというのは、よほど自分の技に自信がないとできるものではない。小林師範の技と度量に、私達は尊敬と感激を覚えながら、他の師範方の技に接することができたのである。

そういう機会の中には、合気道のみならず、古流武術の師範も混じっていた。
それは、古流武術の師範を招いて、主将副将クラスが集まって3日間の特別稽古を受けた時のことである。

その老師範の腰の構えが微妙に前屈みになっていることに、私たちは気づいていた。そしてその腰の構えを真似て業の稽古を始めた。

ところが、この微妙な前屈みの姿勢がどうも体になじめないので、その姿勢を保ち続けると足腰が引きつってどうにもいけない。他大学の連中は、さっさとその姿勢は気に止めず、自分たちの姿勢で技の稽古をし始めた。

3日間を通して最後まで、その老師範の腰の構えを真似て稽古を続けたのは、末広業太郎君と私の二人だけだった。

3日間を終えて、私たちは互いの稽古に対する心がけを讃えあった。

「さすがは、末広業太郎、あの腰の構えにあの流派の神髄があるとよくぞ気づいた。」
「いやいや、君こそ、よくぞ3日間、あの姿勢を学び続けたものだ。他大学の連中は、何と心さびしいことか。」

こう言って、お互いを褒め讃えたのである。

老師範の腰の構えの秘密・・・

後日、稽古後に峯田・宮崎両君や後輩達と談笑の際に、私はこの3日間のことを彼らに話して聞かせた。
古流武術の腰の構えを最後まで稽古し続けた、末広業太郎君(そして我輩)の態度こそ、武道芸道を学ぶ者の心得である、と少し得意になって言い聞かせたのである。

ところが、それを聞いた東尾登志子嬢が、「いいえ、先輩」と口を開いた。
「あれは老先生がお年を召して腰が少し曲がってきたからだと、小林師範がおっしゃってましたよ。」

あれーーー、思わず持ったカップをガチャンと落とし・・・そうになりました。
(いつも説教されている峯田・宮崎両君が、内心ニヤリと。女武者・東尾女史は勝ち誇って・・・。)

末広業太郎君と私は、老先生の腰の曲がった姿勢にこそその流派の秘密があるとばかりに3日間を几帳面に真似続けたのだったか。

良き師と出会うことの難しさ

武道芸道を学ぶ心得として、己を虚しくして師匠の教えを受け入れるということは、基本的に大事な事である。
ところが、ひょっとするとそれ以上に大事なことが、良き師と出会うということであると言えるかも知れない。

師匠をあまりに絶対視すると、師匠が年を取って腰が曲がったことまで真似てしまおうとする。年を取らぬまでも、その師匠の武道芸道における境地というものが、弟子の精進に大きく影響することは間違いない。

己を虚しくして道を学ぶということ以上に、良き師に出会うということが大事ではなかろうか。

その意味で、合気道を小林宏和師範に学ぶことができたのは、とても有難いことであった。
神道においては、幾人かの師匠を経て、日垣宮主師に師事することができたのは、吾が人生の一大慶事であったと思う。

最近は琴の稽古を始めて、箱根以西においては先ずこの人であろうと思われる琴の師匠に手ほどきを受けているのも、有難いことである。北村元美先生である。(そして、佐藤サダ子先生。)

己を虚しくし、良き師と出会い、そして・・・

末広業太郎君と3日間の腰構えの稽古は、良き師に出会うということの大事を思い知らされるエピソードであった。それは失敗と言えば失敗である。しかし、あながち100%の失敗とも言えないとも考えられるのである。

そういう失敗をしでかすほどの心持ちがあったほうが、学びは進むのではなかろうか。もちろん、曲がった腰の構えを学んでしまうという危険はあるのだが、とにもかくにも、その危険を承知の上で、まずは真似ぶということが重要であろう。そして、心の一点において、理性というものの働きだけは保持し続けるということであろう。

日垣宮主師の訓えに、神道を学ぶ者はどこまでも己の理性を保持せねばならないとあるのも、よく肯(うけが)うことができる。

末広業太郎君と腰構えの稽古をしたエピソードから学ぶべき点を3つにまとめる。

・第一に、武道芸道の修行は、己を虚しくすることが肝要。
・第二に、良き師と出会うことが肝要。
・第三に、己を虚しくするとは言いながら、究極の所、己の理性を捨ててはならない。

この第三点が、とりわけ重要であり、腰構えエピソードから学ぶべき眼目である。
神道を学び鎮魂を行ずる者が、己の理性を捨て去るならば、化け物の餌食となって末路哀れな行者と成り果てるほかない。あるいは理性を捨てて宗教信仰に没入する人たちの哀れむべき姿と成るほかない。

トランスペース研究所が「理性の光こそ神の光である」と説く所以(ゆえん)である。

ところで、末広業太郎君は、その後も合氣道の修行を続け、今は関学合気道部の監督を務めている。
さすがに吾輩と3日間腰の構えを学び続けただけのオトコではないか。あはは。


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