待ち酒(まちざけ)・一人や飲まむ 友なしにして

友ありてこその待ち酒を一人飲む


「待ち酒(まちざけ)」という言葉がある。日本語特有の表現であろう。

「日本語おもしろ話」を書き始めるにあたり、何から始めるかと思案した。幾人かの友の面影がチラホラと浮かぶ。
友に関わる言葉で始めることにするか。

友が自分を訪ねてくる。友を待つ。久しぶりの再会だ。あれも話そう、これも話そう。
そうだ、もちろん、酒も用意せねばなるまい、「待ち酒(まちざけ)」を。

還暦過ぎて、鬼籍に入る友もチラホラといる。
吾が人生を振り返ると、ああ、まことに疾風怒濤の人生であった。
人生を振り返って想うのは、友の有り難さである。ただ生きているだけで有難い。

遠方、遠国に住む友を想うとき、時には来たらぬ待ち人のために「待ち酒(まちざけ)」を用意して、一人で呑む。
友ありてこその待ち酒であるが、滅多に会えない状況では、「一人や飲まむ 友なしにして」とならざるを得ない。

待ち酒の歌(万葉集、大友旅人)

万葉集にも、待ち酒の一首がある。原文記載しておくので、古人が日本語を表示するのに苦労したことをも味わって戴きたい。

【訓読】 君がため 醸みし待酒 安の野に 独や飲まむ 友無しにして
【仮名】 きみがため かみしまちざけ やすののに ひとりやのまむ ともなしにして
【原文】 為君 醸之待酒 安野尓 独哉将飲 友無二思手
【大意】 君と一緒に呑もうと想って醸(かも)しておいた待ち酒だが、君は「安の野」に私をおいて旅立っていく。後は、一人で友もなくこの待ち酒をのむことになるのか。
【作者】 大宰帥大伴卿

大宰帥大伴卿とは、大友旅人(おおとものたびと)のことである。
友人(大貳丹比県守卿)が他国へ転任することになり、呑み友達がいなくなることを想って詠んだ歌である。
「安の野」は太宰府の近く、今の福岡県朝倉郡夜須村。

地名からすれば、「安らかなる野」であるはずだが、君が他国へ転任となったからには、今までのように「安らかなる野」ではあり得ないであろう、という心持ちも含まれるか。

待ち酒の構造

「待ち酒」の「待ち」とは、誰が誰を「待つ」のであろうか?
誰を「待つ」のかは明白である。友を待つのである。では、誰が待つのか、あるいは何が待つのか?それを考えると「待ち酒」の深みがぐんと増してくる。
少し理屈めくが、日本語の語句「待ち酒」の構造について考えてみよう。

AB同一語句とAB不同語句

単語Aと単語Bとで語句を形成する。例えば「携帯」(単語A)プラス「電話」(単語B)で「携帯電話」という語句ができる。
その際に、AとBが広い意味で同一と見なされるか、別物であるのか、それを区別するために「AB同一語句」と「AB不同語句」という用語を用いることにする。(昌原の造語である。)

・AB同一語句
 (例)walking + dictionary (生き+字引)
   walkingするのは、dictionary(字引と見なされた人)であるから、A=B。
・AB不同語句
 (例)携帯+電話
   「携帯」するのは人であり「電話」ではない。A≠B。

では、「待ち酒」はAB同一語句かAB不同語句か。
この私が酒を用意して友を「待つ」のであれば、「待つ」のは「酒」ではないのでAB不同。
ところが、日本語は曖昧模糊として、必ずしもAB不同とは定めがたい。

つまり、待っているのは私だけではない、「酒」もお前さんを待っているのだぞ、という心持ちが日本語意識にはある。
酒が友を待つのか、人が友を待つのか、などと詮索無用。両方だ。AB同一かつAB不同なのだ。

「待ち酒」を用意して、人と酒とが融合して、友を待つ。日本人は万葉の昔から、そういう融合意識を日本語の中に湛(たた)えて保ち続けてきた。
「待ち酒」とは、まことに日本語らしい日本語である。

人生は待ち酒

学生時代に、待ち酒ならぬ「待ちコーヒー」を随分と飲んだ覚えがある。
遠方で学ぶ友のために、お気に入りの喫茶店でコーヒーを二人分頼み、それを一人で飲む。

寒い時期に待ちコーヒーをした覚えは無いのだが、夏の盛りにアイスコーヒーを二人分頼んでよく飲んだものだ。大阪の夏であればこそ、待ちアイスコーヒーが飲めたのであろう。

日本語には「陰膳(かげぜん)」という言葉もある、「待ちコーヒー」は「陰膳」ならぬ「陰コーヒー」と行った方が良いかも知れない。

友の為に「待ちコーヒー」を注文した喫茶店は、数年前に廃業した。今も時々、その前を通り過ぎるのだが、その度に、待ちコーヒーを想い、待ち酒という日本語を想い、大友旅人の歌を想い、人生をしみじみとかみしめるのである。

人は一生のうちに、どれほど多くの人と関わって生きていくことか。どれほど、待ち酒を用意し、用意されたことであろうか。
待ちご飯まで含めると、ああ、人生は待ち酒、待ちご飯、待ち▼▼であふれている。

人というものは、人と交わるものである。人と人の交わりに酒は欠かせない。
ならば、人生は待ち酒そのものではないか。

待ち酒のアメリカンジョーク

アメリカにも「待ち酒」のエピソードがある。「陰膳(かげぜん)」ならぬ「陰酒」というべきか。
ある男が、バーへやって来ると必ず、ダブルのウイスキーをグラス2杯注文し、それを一人で飲んでいた。

ある時、バーテンがその男に尋ねた。
「グラスを一つにして、お変わりをしたらどうですか」

男は、首を振って答えた。
「いや、もう一杯は、飲み友達の為のグラスなんだ。」
こうして、男は2杯のグラスを注文し続けた。

しばらくしてある日、男はめずらしく落ち込んでグラス一杯のみを注文した。
バーテンは、男の友人に何か異変があったのだと察して、尋ねた。
「今日は、どうかなさったのですか」

男は悲しそうに答えた。
「飲み過ぎがたたって肝臓が悪くなり、医者に飲酒を禁止されたのだ。」

バーテンも同じくため息をつきながら答えた。
「それはかわいそうなお友達で・・・」

男はビックリして切り返した。
「いやいや、酒を禁止されたのは俺の方だよ。この1杯は、アイツの分だ。」
そういうと男は、グラスをグイと飲み干した。

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