ひょっとこ(火男)の語源・日本語おもしろ話
祭りの屋台で必ず見受けられるのが、お面を売る店。そこには必ず、「お多福(おたふく)」と並んで「ひょっとこ」のお面があります。「ひょっとこ」を知らぬ日本人はいないことでしょう。
「日本語一語一会」の先の記事で「お多福」を取り上げたので、次に「ひょっとこ(火男)」について記しましょう。
お多福(おたふく)さんは、日本女性の美しさの極致であると思うのですが、「ひょっとこ」が日本男性の男前の代表とは言いかねます。
「ひょっとこ」を「火男」と書きます。先の記事で、お多福さんの「タ」が水を表すと申しましたが、「ひょっとこ」の「火」とはどういうことでしょうか。「ひょっとこ」の語源について調べてみましょう。
ひょっとこの始まり
民俗学者・柳田国男に『遠野物語』の著作があることは良く知られています。この書は、佐々木喜善という人物が東北地方の民話伝承を柳田国男に話して聞かせ、柳田がそれを書物にしたものです。
その佐々木喜善に『江刺郡昔話』という著書があり、その中で「ひょっとこの始まり」という一話が掲載されています。
ひょっとこの始まり
或る所に爺と婆とがあった。爺は山に柴刈りに往って、大きな穴を一つ見付けた。こんな穴には悪い物が住むものだ。塞いでしまった方がよいと思つて、一束の柴を其の穴の口に押し込んだ。さうすると柴は穴の栓にはならずに、するすると穴の中に入つて行つた。また一束押込んだが其れも其の通りで、其れからもう一束、もう一束と思ふうちに、三月が程の間に刈り溜めた柴を悉く穴へ入れてしまった。
其の時、穴の中から美しい女が出てきて、沢山柴をもらった礼を言ひ、一度穴の中に来て呉れと言ふ。あまり勧められるので、爺はつい入つてみると、中には目の覚めるような立派な家があり、其の家の側には爺が三月程もかかつて刈つた柴がちゃんと積み重ねてあつた。
美しい女に此方に入れと言われて、爺は家の中に入ると立派な座敷があり、そこには立派な白鬚の翁が居て此所でも柴の礼を言はれた。そして種々と御馳走になつて還る時、此れをしるしに遣るから連れて往けと言はれたびが一人の童(ワラシ)であつた。其れは何とも言へぬ見つとも無い顔の、臍(昌原注:へそ)ばかりいぢくつて居る子で、爺も呆れたが、是非呉れると言わはるのでたうとう連れて還つて家に置いた。
其の童(ワラシ)は、爺の家に来ても、あまり臍ばかりいぢくつてばかり居るので、爺は或る日火箸でちょいと突いてみると、其の臍からぷつりと金の小粒が出た。其れからは一日に三度づつ出て、爺の家は忽ち富貴長者となつた。ところが婆は欲張りの女で、もつと多く金を出し度いと思つて、爺の留守に、火箸を持って童の臍をぐんと突いた。すると金は出ないで童は死んでしまった。
爺は外から戻って、之れを悲しんで居ると、夢に童が出て来て、泣くな爺様、俺の顔に似た面を作つて毎日よく眼にかかる其所の竈前の柱に懸けて置け。さうすれば家が富み栄えると教へて呉れた。此の童の名前はヒヨウトクと謂つた。其れ故に此の土地の村々では今日迄、醜いヒヨウトクの面を木や粘土で造つて、竈前の釜男(カマヲトコ)と云ふ柱に懸けて置く。所に依つてはまた此れを火男(ヒヲトコ)とも竈佛(カマホトケ)とも読んでいる。
佐々木喜善『江刺郡昔話』(郷土研究社、大正15年)より
そういう訳で、「火男(ひおとこ)」のお面が、お多福や天狗のお面と同様に、広く日本全国で親しまれるようになりました。
「火男(ひおとこ)」がなまって、「ひょっとこ」となります。
ひょっとこの口がひん曲がっているのは、竈のヒト起こすために火吹き竹を吹いている姿を表しています。
おかめ〈お多福)とひょっとこ
さて、人間が生きるために火はどうしても必要です。
日本人が、火の神様から遣わされた火男を大事にするのは、とてもよろしいことですね。
お多福の「タ」とは水のことであると申しました。
(⇒ お多福(おたふく)は日本的女性美の極致)
ならば、お多福(おかめ)顔の妻を娶り、火男(ひょっとこ)よろしく火を大事にするならば、水火の調合あんばいよろしく、その家は益々栄えるに違いありません。お多福は美人、ひょっとこはひょうきん、それでよろしい。
これで、おかめ(お多福)・ひょっとこと並び称される日本の伝統的パーソナリティに、ぐんと親しみが湧いたことでしょう。
子ども達にも、このことを話してやって下されば幸いです。