筆録(32) 山の辺の道をなんば歩きする会・報告


2014年4月5日(土)「山の辺の道をなんば歩きする会」を催した。
参加は私を含めてトランスペース友の会の会員と家族11名。
午前11時35分にJR柳本駅に集合し、駅前で各人自己紹介の後、崇神天皇陵へ向かう。
山の辺の道は、天理の石上神宮から櫻井の大神(おおみわ)神社に向かう、全長16キロほどの古代の道である。今回はその南半分、JR柳元駅から大神神社までの8キロほど歩き、いくつかの祭事を組み込んだ。
JR柳元駅から歩いて数分で崇神天皇陵に着く。
ここで崇神天皇の霊影(たまかげ)新生祭をお仕えし、併せて参加者各人の霊影(たまかげ)新生をもお祈りした。以後、その流れに乗って久延彦神社への道を歩き続ける。ただ歩き続けるのみであるが、それが霊影新生祭の延長であることは参加者の思慮の外であろう。

神田真太朗君(小学2年生)は喜んでころこんではしゃぎまわり、大人たちにあれこれと注意される。中村志(ゆき)子嬢がそれを見て云った。

「周りの大人達に注意してもらえるのは、ありがたいですね。」

そこでひとしきり最近は子供を叱る大人が少なくなったという話題が続く。電車の中で騒いでいると、怖いおじさんがいるから静かにしなさい、というようななだめ方をする親はけしからんとか。
そりゃ、そうだ。誰それが怒るから静かにしなさいというのではなく、騒ぐこと自体が良くないことだから止めなさいとしかるべきである。ましてや、静かにしないと怖いおじさんに言いつけるよなどといって子供を制しようとするのは、全くもってけしからん。二十代半ばの志子(ゆきこ)嬢のおっしゃることはまことにもっともであり、若くして人生の基本をしっかりと身につけておられることに感心した。はしゃぎまわる真太朗を志子(ゆきこ)嬢はよく相手をしてくれた。

所々に満開の桜花が目を楽しませてくれる。真太朗のテンションは益々上がり、目に付くものを片っ端から甲高い声で報告してくれる。わざわざ報告してくれなくても、見れば分かると云いたいのをこらえていたが、こらえきれずにアンジンさんがとうとう口を開いた。

アンタはもう、だまってなさい!

アンジンさんに叱られたぐらいで真太朗のテンションが治まる事はない。時々聞こえるウグイスの声はまことに気が休まるのだが、道筋にいくつもいくつも現れる無人の売店を目にする度に、売店だ、ミカンだと報告する真太朗の声には、少々参ってしまった。

おい真太朗、静かにせい。あまりはしゃぎ過ぎると、
アンジンさんに言いつけるよ!

アンジンさんとは、アワ唄の名手。→秀真伝 あわ唄 hotsuma awauta

かくするうちに檜原神社に到着。
参拝後、神庭の片隅にシートを引いて昼食をとりつつ歓談す。

中道未央(みお)嬢に、「中道」とはどこの道ですかと尋ねたが、腑に落ちる返答は得られなかった。
大中洋道氏に、約(つづ)めて「中道」とはどこにある道ですかと尋ねたが、これも返答は得られない。
それが清水健一氏の「健一」に通ずるはずであるのだが、青年諸君にはもう少し自己確立の道を深めて戴かねばなるまい。今後の課題と受け止めて戴き、将来を期すとする。

中村志子(ゆきこ)嬢は、毎月満月の日に発行している雑誌があると知り、昌原と清水正博氏が購読を申し込んだ。それはその時々の年中行事や旬の食べ物などを紹介する文章を綴ったものであるとか。次の満月が楽しみである。
その「満月報」(仮名)は、年間1,500円で購読できる。いずれこのサイトできちんと紹介するつもりだが、目下の所、希望者は昌原あてにメールをお寄せいただきたい。

昼食を終えて、大神神社へ向かう。
清水正博氏は、神戸六甲にある「心と体の健康道場、サラ・シャンティ」の道場主であり、息子の健一氏と共に参加された。道すがら健一氏に、サラ・シャンティの将来についてのイメージを持っているかと尋ねると、「もっと明るく華やかな道場を作りたい」と考えているとのこと。
若者達は将来についていろいろと夢をふくらませるもの。結構けっこう。

大神(おおみわ)神社到着。この神社には拝殿はあるが本殿は無い。
・拝殿(神主や参拝者が礼拝する建物)
・本殿(ご祭神のご神体を奉安する建物)
大神神社は三輪山をご神体としているので、拝殿の向こうには三輪山がそびえているのみで、本殿を必要としない。
参拝後、広大な神域内にある狭井(さい)神社へ向かう。

狭井(さい)の薬水については、【友の会通信】2014-04-03を参照されたい。

参拝後、各人薬水をペットボトルに戴いて、久延彦(くえびこ)神社へ向かう。

久延彦(クエビコ)の丘で。真太朗と志(ゆき)坊。いいコンビだ。

大神(おおみわ)の神域内に小高い丘があって、頂上近くに久延彦神社があり、智惠の神・久延彦大神が祀られている。
久延彦さまの丘の頂上は、春爛漫の桜盛りで最高の美しさであった。
ここでも真太朗がはしゃぎまわる。昔むかしの大昔に、彼はこの里で暮らしていたことがあったので、久しぶりに故郷に戻った感じがしたのであろう。真太朗よ、大いにはしゃぐがよい。

久延彦(クエビコ)の丘に桜小僧出現!

頂上を少しおりると久延彦神社がある。神官に許可を得て拝殿にあがらせて戴き、この日最後の祭事をお仕えした。

サラ・シャンティ道場主の清水氏と、龍頞(りゅうあん)寺の住職であるアンジンさんには、神札を購入していただき、それを神前に供え、昌原調整の粉末状の塩と各人持参のペットボトルの薬水をお供えして、祝詞奏上。そうそう、祭事直前に大中氏も神札を買い求めて、その神札も祭事に参加することとなった。
そもそも、神社のお札の戴き方を知らない参拝者が多すぎるようだ。参拝終わって、帰りに社務所でお札を頂戴していく人が多いのだが、これではもったいない。参拝前にお札を戴いて、そのお札を持って神前へ参り、祈願の筋があればそれを申し上げ、その祈願にそった神気をお札に籠めて戴く。それで、そのお札が、その人にとって本当に必要な神力を発揮するお札となる。

大中氏は先日私と共に「顔を洗って出直したくなるキツネうどん」を食して何やら祀り心がきざしたと見える。こういう点にも「顔を洗って出直す」効果が現れているようだ。

崇神天皇陵で霊影(たまかげ)新生祭をお仕えして、人生一新を図るのだが、久延彦神社の祭事では、そのための叡智明智を働かせるクエビの神気を塩と水に差し籠もらせていただいた。塩の小袋は各人おみやげとして差し上げ、それを種にしてクエビの塩を増やすための祝詞も差し上げた。

終わって下山。大神神社鳥居前にて記念写真を撮って散会した。

散会はしたのだが、帰りの車中でも参加者の話し合いは続く。
神田智恵ママと昌山明巳ママは、昌原の近親者であるが、そろってバツイチのママさん。その二人と家内の紀子が、独身・中道嬢を囲んでいろいろと人生について話しあっている。それもまた、己の想念によって人生を閉ざすことのないようになさいという経験者たちのアドバイスであろう。

今回の行事は、古代の道をあるくようでいて実は神事であると事前に申し上げた。
それはまことに各人の人生をひらく道歩きでもあったようである。

▼大中洋道氏も食した「顔を洗って出直したくなるキツネうどん
▼清水正博氏の「日本語は神である」感想→世界の人に日本語を教えるのに役立つ
▼中村志子嬢「満月報」(仮名)の購読申込(年間1,500円)はこのフォームで。
▼アンジンさんのCD 秀真伝 あわ唄 hotsuma awauta
カタカムナ katakamuna言霊大祓祝詞〈八咫の鏡〉ヤタノカガミ
【トランスペースの本(神・電子)】
「アップダウン構造」というキーワードを知れば、眼からウロコがぼろぼろ落ちて、あなたの中で言霊の力が爆発するでしょう。
『日本語は神である』 (アップダウン構造により日本語・日本文化を解明する書)