(29) 山桜を愛でる(ソメイヨシノ全盛の陰で)
この和歌の「ヤマザクラ花」は、ソメイヨシノ(染井吉野)ではない。
桜といえば、ソメイヨシノしか眼中にない多くの日本人に、この一文を呈する。
染井吉野(ソメイヨシノ)はクローン桜
環境省HPより
桜花も散り果てて、新緑の季節となった。
毎年、毎年、繰り返される日本人の桜の花見であるが、さて、日本人は桜のことをどれほど知っているのであろうか。
大方の日本人が、「サクラ」と聞いて思い浮かべるのは、染井吉野(ソメイヨシノ)であろう。
しかし・・・、
ソメイヨシノを日本の桜の代表と思い違いをしてもらっては、日本の心を表す桜花の面目が立たない。
日本の国土が育んできたサクラは、ソメイヨシノだけではない。いやいや、もっと日本人の感性にそぐわしい桜が、日本全国の山野に慎ましく花咲かせている。
そこで桜について少しばかり学んでいただくと、毎年春の花見に、ぐんと深みが増すことであろう。
ソメイヨシノ(染井吉野)の由来
(集英社『櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで』 佐野藤右衛門・著より)
この変種を、江戸末期に江戸の染井村(現在の豊島区駒込)の植木職人が、「吉野桜」と銘打って売り出したのだが、奈良県吉野山は山桜の名所であり、その混同を避けるために明治になってソメイヨシノ(染井吉野)と改名された。
ソメイヨシノ(染井吉野)がもてはやされる理由
一本の突然変異種であったソメイヨシノが、あっという間に全国津々浦々に広がったのには、次の理由がある。
ソメイヨシノは接ぎ木がしやすい
自生種と違って、ソメイヨシノは種がないからこどもが生まれない。したがって接ぎ木で増やすほかない。その接ぎ木が他品種とくらべてとても容易である。
ソメイヨシノは成長が早い
あっという間に成長して、花を咲かせる。それ故、自治体などが桜並木を作ろうと計画すると、すぐに成果が見えるメイヨシノが選ばれる。
ソメイヨシノはどこで植えても同じように咲く
仮に他の自生種で桜並木を作ったとすると、自生種の個々の樹は個性をもっているので開花の時期もばらばらである。ところがソメイヨシノはクローンであるので、みんな一斉に開花する。だから気象庁の桜の開花予想が成り立つ。
東京のテレビ局から、「桜、咲いてますか」なんて、ひっきりなしに電話がかかってきますやろ。「まだ咲いてません」と答えると、「いつ頃咲きますか」と平気で聞いてくるんです。そんなん、知るか。ひどいのになると、「今週の日曜日は、どうですか。満開になりませんか」ですよ。人間って勝手なもんですわ。
そんな時は、「あんたの都合で桜が咲くか。桜が満開になった時が日曜日だと思ってや」と言っときます。
(集英社『櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで』 佐野藤右衛門・著より)
ソメイヨシノは短命
良いことずくめのように見えるソメイヨシノだが、その寿命は60年から長くて100年。青森城に樹齢100年を超えるソメイヨシノがある。今全国の桜並木で花見客が眼にしているソメイヨシノは、ある時期になると一斉に寿命を終えてしまう可能性がある。
自生種の桜の寿命はもっと長い。福島県の三春滝桜は、紅枝垂桜の巨木であるが、推定樹齢1000年を超える。日本全国に樹齢500年、600年の桜がけっこうある。
日本自生の桜は三種
桜というのは、おおまかな話をすると、山桜、彼岸桜、大島桜という三種が、日本の自生の桜です。だから、とりあえず、この三つだけ覚えておいたらよろし。
それ以外の名前がついた桜は、このななから突然生まれた変種や品種改良して生まれた桜ですわ。実生(みしょう)では残せへんから、接ぎ木でやらんとしかたないわけですわ。
(集英社『櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで』 佐野藤右衛門・著より)
佐野藤右衛門氏(当代16代)や他の桜守たちは、ソメイヨシノ全盛に危惧を感じていらっしゃるようだ。日本全国の桜並木がクローン桜で塗りつぶされてしまっては、一斉開花は華やかでよろしいようだが、ある時期に至ると一斉に寿命を終えてしまいかねない。佐野氏を始め桜守たちは、日本の桜を守ろうと品種の保持に力をつくしておられるのだ。
オオシマザクラ(大島桜)は美しい
我が家の近くにオオシマザクラ(大島桜)が毎年花を咲かせるのだが、近くのソメイヨシノと比べて格段に美しいと私には思われる。
なぜ美しく感じるのかというと、ピンクの花と、緑の葉が、同時に楽しめるからである。樹の芽には、花芽(はなめ)と葉芽(はめ)がある。大島桜は、花芽と葉芽が同時に開く。山桜もしかり。
【オオシマザクラ(大島桜):緑の葉に花の美しさが際立つ。】
ところがソメイヨシノは、花芽(はなめ)がすべて開ききった後で、葉芽(はめ)が開く。つまり、花一辺倒で、行け行けドンドン、花、花、ハナ、という勢いがある。まるでAKB48だ。AKBがよろしくないと言っているのではない。彼女たちは若くて元気がよくて結構だ。
しかし、私のような年齢になると、もう少ししっとりした女性美を尊ぶようになる。私達の年代で美人の代名詞といえば、吉永小百合さん。還暦過ぎても美しい人ですねえ。あちらの映画俳優には、グレース・ケリーというまことにグレース(優雅)なお人もいた。黒木瞳や大地真央など年を取っても美しい。アラフォー世代の天海祐希は「オトコっぷり」もなかなかよろしい。
若さだけが美しさではない。年をとっても美しいのが、本当の女性美ではないだろうか。
そういう美しさを、ソメイヨシノに求めるわけにはいかない。
繰り返しになるが、AKBがよろしくないと言っているのではない。元気で結構。
AKBの皆さんはまだそれなりに個性をお持ちのようだが、韓国の整形美人になると、私はもうついて行けない。
▼2013年ミス・コリアにエントリーした美女たちが不気味なほどソックリだと話題に
おっと、話を桜に戻しましょう。
自生種の桜は、樹々に個性があるのです。
朝日に匂う山桜花はヤマザクラ
本居宣長の時代にソメイヨシノは存在しなかった。
宣長が大和心の象徴として詠んだ桜は、ヤマザクラである。
【山桜 (写真提供:管井啓之氏・京都ノートルダム女子大学教授)】
ヤマザクラもまた、少しばかり騒々しいソメイヨシノとは異なり、赤茶けた葉芽と花芽が同時に開く。
大島桜と同じく、花の美しさを葉で慎ましく包んでいる。これだよ、これ。
こういう自生の桜たちは、人の手を借りること無く、日本の大地と共に生き続けて生きた。これからも生き続けるであろう。
山深く かくれ桜のあらはれて (容成)
上の句は、昔岡山の山中を歩いていた時に、突然「時節外れ」の桜が花咲かせているのを見て詠んだもの。
今にして思えば、ソメイヨシノが一斉に散った後で、花開いたヤマザクラであったのか。一斉開花・一斉散華のソメイヨシノと違って、その自生の桜木にとっては、その時が花開く時であって、「時節外れ」は関係がない。
こういう自生の桜たちは、一本一本の樹に個性があり、開花の時期もまちまちである。同じ地域に咲いている同種の桜であっても、私は気が早い性質(たち)だから春一番に咲いてやる、という樹もあれば、私はのんびりだからゆっくりと花開かせよう、という樹もある。
今のソメイヨシノの花見は、一斉開花して五六日で終わってしまうが、昔の花見は、こういう自生の桜たちの性質に合わせて、長期にわたり可能であった。
「神道・日本語・日本文化を学ぶ」という旗印を掲げて、「やまと心よよみがへれ」をキャッチフレーズとしているトランスペース研究所としては、ソメイヨシノ全盛に目を奪われずに、日本自生の桜たちに目を向けていただきたいと願うものである。
日垣神道に「花見とは鎮魂である」という訓えがあることを申し添えておきたい。
ある日の琴のお師匠さんの会話
・師匠S: あの、ケービー48が・・・。
・師匠K: 違うわよ、あなた、エーケービーでしょ、エーケービー。
ケービーイン48人は、アルソックよ、アルソック。
(48は「フォーティエイト」と言ってるようですが・・・。
S先生も、K先生も、ヤマザクラのようなご婦人でいらっしゃいます。)