神道/ 婿養子には火継ぎ祭りが必要(血筋の乱れを防ぐ)
一家に女の子しかいないという場合に婿養子を取るが、その際には火継ぎ(ほつぎ)祭りをするとよい。
するとよい、というよりは、必要であるというべきか。
では、何故火継ぎ祭りが必要なのか。
それを理解するには人間という存在がどのようにして形成されるのかと言うことを知らねばならない。
精(せい)と体(たい)
人間が肉体形成してこの世に生まれるには、父と母と産土の3つの力が結ばねばならない。
そのうち、父からは精(せい)を承け、母からは体(たい)を授けられる。
精子と卵子が結合して、母胎の中で十月十日を経るうちに、体が育つとともに精も育つ。
・父から 精(せい)を受ける
・母から 体(たい)を受ける。
この精が問題。
体は目に見えるので良く分かる。
精は目に見えないのだが、確かに存在する。それは、血液の中に、いわば精魂として籠められている。
この精の流れが姓の流れである。
その精の流れ(姓の流れ)を守護するのが氏神である。
火継ぎする精(せい)は霊魂ではない
肉体があり霊魂があるということは良く知られているが、この精の知識が宗教者といえどもあまりに乏しい。
憑依現象ということがある。
この宇宙には何とも名状しがたい生き物がいて、それが人間にとりつくことがある。
とりついた化け物は人間の何を食らうのか。
体を食らうのでもなく、霊魂を食らうのでもない。
精を食らうのである。
そこから、肉体でもなく、霊魂でもない、精の存在が感覚できるであろう。
婿養子の精と、養子に入った先の精は異なる
山田家に子供が花子さんしかいないとする。
そこで海原太郎君を婿養子に取るとする。
婿に入った太郎君は山田太郎と名乗る。
しかし、太郎君の肉体に重なって存在する精は依然として海原家の精であって、山田家の精ではない。
・海原太郎:海原家の精を持つ。結婚しても変わらない。
海原太郎君が、山田花子さんと養子結婚して山田太郎と名乗ったとしても、そのままでは、太郎君の精は海原の精のままである。
血筋の乱れ
やがて子どもができると、その子は、父親である太郎君の精、つまり海原家の精を持って生まれる。
やれ山田の跡取りができたと喜んだところで、その子は山田の精は持っていない。
戸籍で山田を名乗ったところで、その子の精は、他家の精である。
これを血筋の乱れという。
血筋の乱れが起こると、何故まずいのかというと、氏神の守護の響きが充分に受けられないからである。
精の流れを守護する氏神
氏神とは、精の流れ(姓の流れ)の中で働かれる神である。
血の中に山田の精を持つ子どもが、ご先祖さまあーと手を合わせて祈ると、山田の氏神の響きが、子どもの血の中に響いてくる。
つまり、精とは氏神の響きの受信装置である。
氏神の守護の響きを受けることができるのは、血筋が通っているからである。。
ところが、海原家から山田家へ養子にはいった太郎君から生まれた子どもは、海原の精を授かる。海原の精を持つその子が、山田家のご先祖に手を合わせて祈っても、そのそも血の中に山田家のご先祖や氏神の響きを甘受する受信装置(精)がないのだから仕方がない。
祈りは空転せざるを得ない。
氏神の守りの響きを受けられないのである。
これが血筋の断絶の結果である。
血筋の断絶を防ぐ火継ぎ(ほつぎ)祭り
そこで太郎君に真実、山田の精を戴くという祭りが必要となる。
それが火継ぎ(ほつぎ)祭りである。
火継ぎ祭によって、養子の太郎君に山田の精が重なる。
子供ができると、父親太郎君が火継ぎで承けた山田の精がその子に伝わる。
だからこそ、養子をもらったら、火継ぎ祭りを行うという伝えがあったのだが、その伝えがほとんど消えそうになっている。
その伝えが単なる形式に過ぎないと誤解され無視されることが甚だ多い。
養子縁組で血筋を保ってきた旧家に、代々養子が続くというのは、この火継ぎが正しく行われていないからである。
以上の説明を繰り返して要約する。
人は父親から精を承け、母親から体を承けて、この世に人間として誕生してくる。
この精の流れが、姓の流れである。
養子に入った婿殿は、そのままでは、その一族の精を承けていない。
つまり、精の流れが断絶している。
それを血筋の乱れという。
そこで精を受け継ぐという祭り、すなわち火継ぎ祭りが必要となる。
【参考】 人間誕生の秘儀(父母産土)