日本語全体の主語は神
「アップダウン構造」という魔法のようなキーワードを使って、日本を丸ごと解明してゆくものです。
1.日本語に主語はないのか
1-1. 日本語の主語をめぐる議論
「日本語に主語はない」 という説が、日本語文法研究者の間でかなりの勢力を占めるようになりました。
大体、「主語」(Subject) という概念は、明治以来、西洋語の文法にならって日本語文法を作り上げる際に導入した概念です。
西洋から移植したこの「主語」という概念はどうにも日本語の実情にそぐわない点があるのです。
日本語には「主語」は無いと唱える文法学者が出て来てはいるのですが、その説も学会の決定的な共通認識とはなっていないようです。
「主語」ひとつ取ってもお分かりのように、今日においても、決定的標準的日本語文法といえるものはまだできあがっていません。
それはアップダウン構造が分からなかったからです。
アップダウン構造を根底に置かない限り、決定的な日本語文法は未来永劫作り得ません。
本号では、アップダウン構造によって日本語の「主語」の問題を考えてみます。
1-2. 日本語に主語はあった
「日本語に主語はない」 という説には充分な論拠があります。
それは西洋語との比較から、日本語の特質を浮かび上がらせているからです。
しかし、その説は間違いではないのですが、突っ込みが足りません。
アップダウン構造を使って、「日本語に主語はない」という説を更に一段突っ込んで考察しますと、
日本語に主語はあった!
しかもその主語は、日本語文法全体を統括する根本主語であった!
という大発見に至るのです。
1-3. 英語の能動態と日本語の受動態
拙著『ありがとう日本アップダウン構造』に掲載した例文を使って、それを解説致します。
Dragons’ remains formed petroleum.
(formed = 作った・・・能動態)
龍の残骸から石油が作られた.
(作られた・・・受動態)
上の英文は米国発行の英文雑誌から取ったもので、完璧な英語です。
(主語のみ変更した。)
次の和文は、その英文を翻訳したものです。
両者を比較すると、英語の formed (能動態)は、日本語では「作られた」という受動態になっています。
英語 formed 作った ・・・能動態
日本語 作られた ・・・・受動態
これは翻訳テクニックの一つで、態の転換と言います。
翻訳者は、ほとんど無意識のうちに、態の転換を行って翻訳作業を進めます。
1-4. 態の転換は、動作主の転換
態の転換をせずに、
残骸が石油を作った
とすると、日本語としては到底受け入れられない違和感が残ります。
残骸が作るわけは、ないだろう、と感覚するのが日本人。
この違和感、これが日本語のアップダウン意識なのです。
英語を日本語に翻訳したとたんに、
能動が → 受動に 変わる!
こんな不思議なことがナゼ起こるのでしょうか。
それは、日本語動詞の動作主が、英語動詞の動作主と違うからです。
動作主とは、私の造語で、文字通り、動作の主体を意味します。
態の転換とは、動作主の転換に他ならないのです。
先の英文では、動作主は remains(残骸)でした。
Dragons’ remains ーーー formed ーー→ petroleum.
(龍の残骸) (作った) (石油)
しかし、この「残骸」という動作主は、日本語の世界では動作主としては認められないのです。日本人の心が、無意識のうちにそれを認めないのです。
「残骸が石油を作った」といって何の違和感も感じないのが西洋語の感覚です。
そこには、残骸と石油との二者関係が存在するのみです。
しかし、日本語アップダウン意識は、隠れた第三者を無視できないのです。
その第三者が、日本語「作る」の真の動作主です。
「作る」の動作主とは、アップダウン構造の奥に隠れている神に他なりません。
残骸から (神によって) 石油が 作られた。
これで、日本語アップダウン感覚が落ち着くのです。
これが、日本語の受動態の秘密です。
「残骸」と「石油」と「神」の三角関係(アップダウン構造)
( 神 )・・・・・・・・・・見えない世界
↓ ↑
神が石油を ↓ ↑ 神が残骸を
作った ↓ ↑ 使って
↓ ↑
↓ ↑
( 石 油 ) <- - - - - - ( 残 骸 )・・・見える世界
2.西洋文法の「主語」は日本語には当てはまらない
2-1. 日本語に「主語」は無い
英文において、formed の主語(動作主)は、remains (残骸)ですが、和文では、「作った」の動作主(主語)は隠れた「神」なのです。
この一事もを見ても、西洋文法の「主語」が日本語文法には当てはまらないことが明らかです。
また、「日本語に主語はない」と言いたくなるのも充分納得できます。何しろそれはアップダウン構造の奥に隠れていたのですから。
2-2. 日本語全体の究極主語がある
日本語に主語はない、ということをもう一段深めてみますと、その主語の意味を大きく深く、アップダウン構造の奥にまで通して考えなおしてみると、
日本語に主語はある!
その主語は、一つの文の主語というちゃちなものではなく、
日本語文法全体の究極主語である!
ということも納得されます。
この日本語の究極主語である「神」が、アップダウン構造の奥から日本語に力を及ぼし、日本人の意識を光明化し、日本文化に光を添わせ、日本経済・日本技術の根元力となっているのです。
日本とは、まことに、「言霊の幸はふ国」でありました。
拙著『日本語は神である』にそのことを多数の例を引いて深く論証しています。まだお読みでない方は、是非お読み下さい。
(『ありがとう日本アップダウン構造』は品切れ改訂中。)
3. 日本語の乱れとアップダウン構造
日本語が乱れているとよくいわれます。
その代表例が、「ら抜き表現」と「さ入れ表現」です。
食べられる → 食べれる (ら抜き表現)
読ませて戴く → 読まさせて戴く (さ入れ表現)
この程度の乱れは、可愛いものですね。
特に「ら抜き表現」については、肯定的にとらえる人が多いように感じられます。
この程度の乱れは、可愛いものなのです。
正しい日本語を保つ上で、もっと、もっと大切にしなければならないのは、日本語のアップダウン意識です。
もし万一、「残骸が石油を作った」という表現をおかしいと感じる日本語のアップダウン意識が崩れたならば、日本国も崩れてしまいます。
日本人の存在価値がなくなるのです。
日本文化の根元力が消え去るのです。
日本人が日本語を使い続ける限り、そのようなことは起こり得ないでしょう。
アップダウン構造は厳然として生き続けます。
少々の乱れぐらいではびくともしません。
しかし、日本語を学ぶ外国人は「残骸が石油を作った」というショートカット表現に何の違和感も感じないのです。
そのようなエセ日本語が、逆輸入されて氾濫したらどうなるでしょうか。
それこそが最大の日本語の乱れとなるでしょう。
それをカッコイイといって飛びつく無知な日本人が増えないとも限りません。
これだけ海外の日本語学習が盛んになっている今日、あまりに単純に楽観視もしていられません。
海外の日本語教育の根本に、アップダウン構造を据えるべきです。
日本国内の国語教育の根本にアップダウン構造を据えるべきです。
それが正しい日本語を保つために根本的に必要です。
日本語(国語)教育に携わる人々にアップダウン構造を知らせる必要を感じます。
読者の皆様、アップダウン構造を日本人の常識とする運動に、どうかご協力を!