モノの話(2)大物主(おほものぬし)クシミカタマの神

モノにたましいを籠める

日本語「モノ」は物質ではないという話を続けます。

前回、大物主(おほものぬし)クシミカタマの神について述べました。今回は、この神についてもう少し詳しくモノ語ります。

奈良県・大神(おおみわ)神社

大和の国(奈良県)櫻井の里に、大神(おおみわ)神社があり、大物主(おほものぬし)クシミカタマの神がお祀りされています。

この神が、すべてのモノにたましいを籠める神力をお持ちです。

それ故、酒造りする蔵元たちは大神(おおみわ)神社
から杉玉を戴いて酒蔵に飾るのですが、もの作りは酒造りに限りません。

クシミカタマとは、モノを串(クシ)刺しにして、そこにタマシイを籠める働きと理解するとよいでしょう。

すべてのモノを統べ治めるという大物主の神でありますので、クシミカタマの神力を振るうことができるのです。

大物主の神が働いて、物質が初めてモノになることができるのです。

家がモノになる

例えば、一軒の家を建てる。
できあがった家は、そのままでは、単なる木材等の物質の寄せ集めに過ぎません。

そこで落成祭をお仕えします。
日垣神道の祭式にしたがうならば、神主が祝詞を奏上し、神前の神酒を口に含んで大黒柱に吹きかけます。

その一瞬、大物主クシミカタマの神力が働いて、物質の集積体が虚空体と化し、その虚空体に家舟(やふね)ククヌチの神がふわりと重なります。
これで、物質の集積体である家が、真実、人間の住む家というモノに変わるのです。

逆にいえば、落成祭をお仕えしなければ、家はモノにならんのです。

昔、日垣神道に入門したての頃、ある問題について宮主師に相談申しあげたところ、我が家に家舟の神さまがいらっしゃらないというご指摘を受けました。

当時既に、家を建てて20年ほど経っていたのですが、私は20年間、物質の集積体の中で暮らしていたのです。

そこで、家を建立した20年前にさかのぼって、あらためて落成祭をお仕えし、家舟ククヌチの神をご奉斎(ほうさい)申し上げました。

それによって老母の体調が改善したり、家内が外出して良からぬ存在に影響された場合なども家に入るとスッと治まるというような経験も数多くありました。

宮主師によれば、人間が心を向けて家舟の神を祭るならば、それに応えてその家に住む人々を守る働きを現されるとのこと。

つまり、家は単なる物質の集積体だ、雨露をしのげればそれでよいと考える人たちに、家舟さまの恵みはもたらされないのですね。

日本人が昔から、地鎮祭をお仕えし、立柱祭をお仕えし、落成祭をお仕えして来たのは、深い意味があってのことでした。

モノのタマシイと付き合う

モノとは、まことに不思議なモノでありまして、モノにタマシイを籠めるという、そのタマシイというモノもまた不可思議千万です。タマシイという言葉の意味内容も、まことに広く深いのです。

モノのタマシイは、人間のタマシイとは甚だ異なるモノですが、モノが有するそれをタマシイという言葉で表現するしかないわけです。

そういう日本語を使って生活する私たちですので、モノに対する感覚も、西洋物質感覚から遙かに抜き出た感覚を保持したいモノです。

物質と付き合うのではなく、モノのタマシイと付き合うわけですね。
モノになるか、ならないか、あなたの心次第でありましょう。

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