「携帯」と「スマホ」の日英比較

日本語は、見えない第三者が隠されたアップダウン構造をとり、英語は、単なる二者関係のショートカット構造をとります。
そのことを、携帯とスマホを例にとって、確認してみましょう。

スマホ(スマートフォン)のショートカット構造

「携帯」とは、本来は、「携帯する」という動詞ですが、今や「携帯電話」の省略形名刺として使うことが多いですね。
ガラパゴス携帯(携帯電話)が、近々姿を消して、スマホに取って代わられようとしています。

スマホは、スマートフォン(smart phone)という英語をそのままカタカナにした言葉です。
英語のスマート(smart)には、「賢い」という意味があり、いろいろな機能を持つ賢い電話機をスマートフォン(smart phone)といっているのです。

スマートなフォン、スマートフォン。単純明快です。
スマートという言葉と、フォンという言葉を結びつけて、スマートフォン。
それ以外になにもありません。完全な二者関係です。

当たり前だとお考えですか。
しかし、日本語「携帯電話」は、当たり前ではありません。
「携帯電話」と「スマートフォン」とは、まるっきり構造が異なります。

携帯電話のアップダウン構造

携帯という言葉と、電話という言葉を結びつけて、携帯電話ができる。
これをスマートフォンと比べて、よく考えて下さい。

スマートなのはフォンでした。だからショートカットで結べる。英語は、それでよろしい。
しかし、日本語においては、携帯と電話を結んだだけでは、話は終わらないのです。

携帯するのは誰ですか。
電話は人間に携帯されるものでしょう。携帯するのは人間じゃないですか。

つまり、携帯という言葉と電話という言葉の二者だけではなく、人間という第三者が加わって、携帯電話ができあがるのです。

・人間が携帯する
・人間が電話を使う
この二つを結んで、(人間が)携帯(して使う)電話、すなわち「携帯電話」ができあがるのです。
このように、日本語には、言葉一つを組み立てる際にも、三者関係に持ち込もうとする力が働くのです。

日本語アップダウン構造は隠れた世界を常に意識する

英語は、目の前の二つだけに絞って言語を組み立てます。
日本語は、目の前の二つだけでは満足しないのです。
目の前の二つの奥の隠れた第三者との関係を、常に常に考慮しようとするのです。

スマートフォンのショートカット構造の図と、携帯電話のアップダウン構造の図を並べて見比べてください。(下図)

日本人が、隠れた第三者を考慮しようとするのではありません。
日本語が、隠れた第三者を考慮しようとするのです。

日本人は無自覚なのです。
日本人ではなく、日本語が自覚しているのです。

無自覚な日本人が日本語を使う。
その時、日本語がアップダウン構造の奥の響きをもたらしてくれるのです。
だから、日本人は、無自覚にして本源世界と繋がるという精神構造になっているのです。

どうですか、この日本語アップダウン構造。
この仕組み、この素晴らしさ。
日本語を使わせていただけることの有り難さが、身に染みて分かるのではありませんか。

私は、日本語と英語を比較して、言葉の奥底に秘められた民族の心性の違いを、深層意識のレベルから解明して『日本語は神である』を書きあげました。オンライン動画やオーディオブックも提供しています。
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