【篤姫06】菊本の自害はナゼ?(2)菊本の遺骸は不浄門から

菊本は罪人扱いされ遺骸は不浄門から出される

天璋院篤姫を幼児から育てた老女・菊本は、慶事の前に自害して今和泉島津家の当主・島津忠剛(しまづただたけ)の怒りを買い、菊本の名は家臣の籍から抹消されました。(それこそ菊本が目指したことだったのですが・・・。)

さて大河ドラマ「篤姫」では、篤姫(宮崎あおい)の実父・島津忠剛(長塚京三)が、菊本の遺骸は「不浄門」から出したと述べる場面がありました。
(ひょっとすると、篤姫の母親お幸の方(樋口可南子)のせりふだったかも。)

この、正門からではなく、「不浄門」から出されるというのは、菊本が罪人扱いされたということになります。

この機会に「不浄門」について学んでおきましょう。

江戸城の不浄門は平川門

江戸城には、大きな門が3つありました。(図参照)

 ●東北(鬼門)に平川門
 ●東に大手門
 ●場内に蓮池御門

外部との出入りの為の門として、東に大手門があり、東北の鬼門の位置に平川門が設けられていました。
さらに、城内の本丸と西の丸を結ぶ門として、蓮池御門がありました。

大手門(東):表玄関としての門
平川門(東北):通用門
蓮池御門(場内):本丸と西の丸を結ぶ

大手門がいわゆる正面玄関の門に当たり、
平川門は、主として大奥女性たちが通行するための門でした。(今も平川橋が残っています。)

この平川門がいわゆる「不浄門」であったのです。

大奥の女性は平川門(不浄門)を通る

大名や武士たちは、当然、江戸城の表玄関である大手門を通ります。
大奥の女性たちは、平川門を通るように定められていました。
これは、女性を不浄のものとする当時の考えがあってのことですね。

大奥出入りの商人たちも、この平川門をとおりました。

このように、門一つに格式を付して使い分けをしていたのです。

浅野内匠頭(たくみのかみ)も平川門から

また、江戸城内で死者がでたり、罪人がでた場合も、この「不浄門」から出されることになっていました。

有名な所では、

江島生島(えじまいくしま)事件で処罰された大奥御年寄(おとしより)の江島(えじま)や、
殿中で刃傷に及んだ浅野内匠頭(たくみのかみ)

がこの平川門(不浄門)から場外に出されています。

浅野内匠頭は、吉良上野介(こうずけのすけ)に斬りかかった後、しばらく江戸城内の座敷牢に留め置かれました。
お沙汰があって、一関藩主田村邸へお預けとなるために城外へ出されるのですが、この時、この平川門から出されたのです。
この事を知った赤穂藩士たちは平川門へ詰めかけて、主君の姿を嗚咽しながら迎えるのでした。
大名の身分でありながら、いつも堂々と出入りする大手門を使えず、罪人として平川門(不浄門)から出されるということに赤穂藩士たちの無念はいっそう募ったことでしょう。

赤穂浪士の有名な一場面ですが、平川門(不浄門)の意味を心得ていると、味わいもいっそう深まるでしょう。

【参考】菊本の心をより深く理解するために、次の記事もお読み下さい。
  → 菊本の自害はナゼ?
  → 御殿女中こや/主命を奉じて火中に飛び込む

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