秋二題(2) 「春夏冬二升五合」は呪いの言葉

飲み屋などでたまに見かける短冊に「春夏冬二升五合」とあって、亭主はそれを洒落だと思って澄ましている。
しかしこれは言霊の理から言えばとんでもないオソロシイ言葉である。自分自身に呪いをかけるような言葉でありますぞ。

俗説によれば、「春夏冬二升五合」を次のように解く。
「春夏冬」で秋(アキ)がない、つまりアキナイ(商い)と解く。
「二升」は升(マス)が二つで、マスマス(益々)と解く。
「五合」は半升(ハンジョウ)であるから、ハンジョウ(繁盛)と解く。
つまり、「春夏冬二升五合」で「商い益々繁盛」と解く。

一件、洒落た言葉遊びのようであるが、ここにはとんでもない勘違いが含まれている。
この句が実りある人生と自らおさらばするようなオソロシイ言葉であることを知るべきであろう。

アは、本源の光を表し、キは、神気を表す。
アキとは、恵の光が充実して実りをもたらす様を云う。つまり、実りの秋ということ。

飽きる(アキル)ということも、アキの実りを存分に戴くからこそ可能となる。
芥川の小説『芋がゆ』は、「いかで芋がゆにアカム」といって、アキルほど芋がゆを食べさせられた話でる。
このように、アキというものは、豊かな実りをもたらすものであり、有難くも尊ぶべきものである。

「商い」を「アキ」が無いと解するのが大間違いの元である。
「商い」は、アキナイ」ではなく「アキナヒ」である。「商う」は「アキナフ」である。

「ナフ」というのは、縄を「ナフ」というように、何も無かった状態から物が生まれてくることを云う。
縄をナフと、縄が形を取って現れてくる。アキナフも、アキが無い状態からアキが生まれて現れてくることを云う。

つまり、商いとは、アキが無いのではなく逆に生まれてくるのである。アキの充足感を生み出すことこそが商いであるべきだ。そのアキを無くしては、商いの神が貧乏神に化けざるを得ない。

「春夏冬二升五合」などと洒落込んだ積もりでいるのは、人生の実りのアキは要りません、貧乏暇なし、一生あくせくとコマネズミのように働き続けるのみで満ち足りるということは望みません、ということになる。

これは己自身に呪いの言葉をかけるようなものではないか。
まあ、それもその人の選択であれば仕方がない。

しかし、稲穂を始め多くの植物が秋に実りをもたらすというのは、人間に与えられた天来の恵みである。
それを有難く拝受して、人生を実りあるものとしたいものである。
アキはいいですねえ、日本全国のアキコさん。

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