「有村架純は古典美人である」ことの日本文化的・生物学的根拠

有村架純ちゃん。可愛いですね。
私が、架純ちゃんに出会ったのは、平成29(2017年)年4月のことでした。(と言ってもテレビで見ただけですけど。)
この時にスタートしたNHK朝の連続ドラマ「ひょっこ」で主人公「谷田部みね子」役を務めたのが、有村架純ちゃんでした。可愛い。


1964年の有村架純

こんな可愛い娘、というよりも孫娘がいたら、何でも言うことを聞いてしまいそう。
それはともかく、有村架純ちゃんが可愛いのには、日本文化的、さらには生物学的な根拠があるのです。

有村架純は古典美人であることの日本文化的根拠

古典美人、つまり日本の伝統的な美人とは、一言でいえば「お多福」美人です。

最近は、「お多福」というと美人の対局のように受け止める向きもありますが、いやいや、「お多福」さんのふっくら顔こそ、平安の昔から、日本人の美意識の中で美人として敬われてきた筈です。

ふっくらと下ぶくれのお多福顔が、日本人の伝統的な美人顔であったのではありませんか。

今はやりの西洋的美人感覚では、細くてすっきりしたお顔が美人扱いされるのでしょうが、十二単(ひとえ)の美人画などは、下ぶくれのふっくら顔が多いですね。

「お多福」さんこそ、日本の伝統的な古典美人と言えるのではないでしょうか。

その意味で、有村架純ちゃんは、まことに「お多福」顔が可愛い、古典美人でいらっしゃる。
テレビのCMで十二単(ひとえ)を着こなして「かぐや姫」を演じている架純ちゃん、ほんとによく似合っていますね。これが西洋的な顔立ちの美人では、十二単(ひとえ)はイマイチでしょう。

有村架純は美人であることの生物学的根拠

有村架純ちゃんが美人であることには、生物学的な根拠もあると思います。

赤ちゃんは可愛いですね。
赤ちゃんがナゼ可愛いのかと考えると、赤ちゃんは丸々としてふっくらとしているからではないでしょうか。

丸々としてふっくらとしているものを、人間は可愛いと感じるのです。

人間だけではありません。
そもそも、ほ乳類というものは、赤ちゃんを産みっぱなしにはしないで、赤ちゃんに乳を飲ませて育てます。
その赤ちゃんが、丸々としてふっくらとしている。
大体にほ乳類の赤ちゃんは、人間も犬も猫も、丸々としてふっくらとしています。

だから、人間だけではなく、ほ乳類の動物は、丸々としてふっくらとしているものを可愛く思うようになっているのです。
可愛い赤ちゃんに乳を与え、守り育てるようになっているのです。

有村架純ちゃんが、ほっぺがふっくらとして可愛い、と感じるのは、人間としての美的感覚も含めて、もっと広くほ乳類としての原始的感覚でもあると思うのです。

もしもほ乳類の美人投票が行われたら「ミスほ乳類」は有村架純かも

ですから、有村架純ちゃんを可愛いと思うのは、人間だけではないはずです。
ワンちゃんもニャンちゃんも、有村架純ちゃんは可愛いと思っているはずです。
(絶対、そうだ!)

もしも、全く空想の話ですが、ほ乳類全体の美人投票を行って、隣のワンちゃんにもニャンちゃんにも一票を与えたら、有村架純ちゃんが「ミスほ乳類」として優勝してもおかしくはないのです。

どうも、美的感覚というものが、西洋の感覚に引っ張られていくようで心配です。
日本人には日本人の美的感覚がある。お多福さんは、可愛いのです。
ほ乳類には、ほ乳類の美的感覚がある。丸々ふっくらは、可愛いのです。

下ぶくれのふっくら顔こそ、日本美人であり、古典美人であり、それはまたほ乳類としての人間のDNAの深みから発する感覚であると申し上げたいと思います。

有村架純ちゃん、頑張ってください。

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→ お多福(おたふく)は日本的女性美の極致

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