90歳過ぎたら「青葉の笛」を・・・
「青葉の笛」とは
90歳過ぎたら「青葉の笛」を・・・(どうにかしたい)と思っているのですが、それを説明する前に、先ず「青葉の笛」とは何かを説明しましょう。
源氏と平氏の合戦の中に、「一の谷の戦い」があります。
この戦いに参加した平敦盛(たいらのあつもり)が所持していた笛が「青葉の笛」です。(別名を小枝(さえだ)の笛とも。)
この笛は、熱盛の祖父・平忠盛が笛の名手であったことから、鳥羽院から賜ったものであり、子から孫へと伝えられたのです。つまり、敦盛は、先祖から伝わる大事な笛を戦陣へ携えて来たのでした。
戦いの前夜、平氏の陣屋では宴が催され、そこで敦盛は、青葉の笛をと蕭々(しょうしょう)と吹きました。その音色は、味方のみならず敵の源氏の兵士たちをも感動させました。
翌日戦いが始まり、平氏劣勢となります。
敦盛は馬に乗って、海上の平氏の舟へ戻ろうとしますが、その時、源氏の武将・熊谷直実(なおざね)に、「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と声をかけられます。
そこで敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から落として組み伏せ、敦盛の兜を上げると、そこには若干16歳(源平盛衰記)の若者の顔がありました。
直実には、敦盛と同年代の息子がいたこともあり、この若武者を討ち取ることをためらい、逃がそうかとも思ったのですが、後ろから味方の兵士たちが迫ってくる中でそれもかなわず、やむなく敦盛の首を斬りました。
そして、敦盛の懐に笛があるのを見て、昨夜の笛の音はこの若武者によるものであったのかと悟ります。
この一事は、直実の心の奥深くに「所行無常」の想いを植え付け、その後直実は出家して敦盛を弔うことに生涯を捧げます。
一の谷の戦いでは、この「青葉の笛」の逸話とともに、源義経が断崖絶壁を馬で駆け下りて平家の背後を奇襲したという「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」の逸話が長く人々に語り継がれてきました。
歴史家や日本文化研究者はよく、この2つの逸話を比較して申します。
・義経の鵯越えは、歴史を動かした。
・敦盛の青葉の笛は、日本人の心を動かした。
「青葉の笛」の逸話は、確かに日本人の心を動かして、のちに能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、文楽/歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となりました。
織田信長が、桶狭間の戦いの前に舞いながら詠んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか 」は幸若舞『敦盛』の一節でありました。
命のやり取りをする血生臭い戦場において、ロマンの香り高いこの逸話は、まことに日本人の心を表して今に至るまで語り継がれているのです。
90歳過ぎたら、笛を学びたい
私は若年の頃から、いろいろな学び事を重ねてきました。
2年間の浪人中は、英語に没頭し、おかげで翻訳士として立つことが出来、日本語アップダウン構造の発見に至りました。
大学時代は、合気道に明け暮れ、卒業後は仙道の門を叩きました。
その後日本神道の師に出会い、今は神道の神祭りを人生の中心軸として暮らしております。
今年(令和8年)5月には、私は77歳の喜寿を迎えるのですが、更に13年後の90歳を迎えたならば、新たに学び事を始めたいと希望しております。
90歳になったなら竜笛を学びたいと思っているのです。
90歳になったら、ビジネスからは完全に手を引いて、神祭りと趣味ざんまいの人生を送りたいと思っているのです。
そして趣味の一つとして、若い頃からちらちらと気になっていた竜笛を学びたいと思うのです。
人生100年の時代です。90歳からは思う存分人生を楽しむことにいたします。
私には、今は高校生になる姪がおりまして、彼女はブラスバンド部でフルートを吹いております。幼い頃はよくよく一緒に遊んだものですが、最近はクラブ活動が忙しいとかでちっとも遊んでくれません。
まあしばらくは我慢して、90歳になったら竜笛を学んで、姪っ子のフルートと共演したいものだと願っております。
その為には、せいぜい長生きしなくっちゃ。(呵々)
▼青葉の笛の物語
▼倍賞千恵子/青葉の笛
文部省唱歌「青葉の笛」を倍賞千恵子が歌います。
なかなか良いのですが、「諸行無常」の哀切という点で少し朗らかすぎるかも知れません。歌詞がついているので参考にしてください。
▼森繁久彌/青葉の笛
森繁節は、さすがです。哀切の情が切々と感じられます。
▼思い切ってサックスも良いかもしれませんね。
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