日本酒「春鶯囀」(しゅんのうてん)秋なのに春ウグイスの囀りが

日本酒は日本文化の華:春鶯囀(しゅんのうてん)の蔵元・産地


春鶯囀(しゅんのうてん)萬屋醸造店 純米吟醸 春の宵
春鶯囀(昭和初期のラベル・萬屋酒造店)

酒銘: 春鶯囀(しゅんのうてん)
蔵元: 萬屋醸造店
土地: 山梨県南巨摩郡富士川町青柳町1202-1
創業: 寛政2年(1790年)
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山梨県の日本酒「春鶯囀」(しゅんのうてん)の酒銘を楽しむ

秋になると、日本各地の蔵元から、新酒が蔵出しされます。
ところが、秋なのに春めいたウグイスの囀(さえず)りが聞こえることがあります。

日本酒「春鶯囀」(しゅんのうてん)は、秋毎に「春の鶯(うぐいす)の囀り」を高鳴らせてくれます。

昔、資生堂が「春なのにコスモスみたい」というキャッチフレーズで口紅の大キャンペーンを行ったことがありました。
コスモスは、漢字で「秋桜」と書きます。
つまり、コスモスの花は、「秋なのに春の桜みたいだ」ということで「秋桜」と書くのです。
資生堂はそれを逆手に取って、「春なのにコスモスみたい」という宣伝文句をこしらえのです。「春なのに秋桜みたい」という心で。

日本酒の世界では、「秋なのに春ウグイスの囀りが響く」のです。
それが、山梨県・萬屋醸造店の銘酒「春鶯囀(しゅんのうてん)」であります。

ワイン等には決してみられない日本酒の優雅なる酒銘

それにしても、春鶯囀とはまことに優雅なる酒銘ではありませんか。
春鶯囀に限らず、日本酒の世界には、雅び心を刺激される酒銘が多数あります。
日本酒の酒銘の多様性とその優雅なることは、世界中の他の種類を圧倒してぬきんでております。

ワインなどは、せいぜい「ボルドー産の何とかの何年もの」程度でしょう。
ワインの味はともかく、その酒銘に対する感覚、遊び心、雅び心が、まるっきり日本人とは異なります。
そもそも酒銘に雅び心を込めるという日本人の感覚が、あちらさんにはありません。

私などは、日本酒の酒銘ラベルをずらりと並べてながめるだけで、心中に豊かなる詩心が湧き上がります。

中でも、この春鶯囀(しゅんのうてん)は、ピカイチの逸品でありましょう。

雅楽と箏曲(琴)の春鶯囀(しゅんのうでん)

雅楽にも「春鶯囀」という曲があり、こちらでは「しゅんのうでん」と読んでおります。
雅楽「春鶯囀」(しゅんのうでん)は、唐の太宗の作とも言われ、あるいは高宗がうぐいすの声を聞いて白明達という者に命じて作らせたともいわれます。

太宗なのか、高宗なのか、よく分からん。
分からないのが、またよろしい。

私は、箏(琴)を学んでおります。
箏曲にも、新曲として「春鶯囀」があり、先日私も「春鶯囀」の稽古を始めました。箏曲「春鶯囀」は、雅楽に倣って「しゅんのうでん」と呼ぶのでしょう。

日本語は融通無碍でありまして、同じ「春鶯囀」という漢字に対して、読み方を「しゅんのうてん」としたり「しゅんのうでん」としたり、場合によっては「しゅんおうてん」と読ませることも可能です。

事実、サボテンの一種に、「シュンオウテンニシキ(春鶯囀錦)」という植物名がある。

シュンオウテンニシキ(春鶯囀錦)
シュンオウテンニシキ(春鶯囀錦)ユリ目ユリ科

我が家の隣には昔「高田(たかだ)」さんが住んでいました。
ところが、九州の知人は「高田(たかた)」さんとお呼びする。ジャパネット高田(たかた)と同じですね。

「春鶯囀」の読み方も、日本語の豊穣と雅びの賜物と受け止めましょう。

さて、箏曲は新曲と申しましても、現代に作られた曲ではありません。二百数十年前の安永年間(1772~1781)以後に作られた曲を、箏(琴)の新曲と呼ぶのです。

杉田玄白『解体新書』の刊行が、安永3年です。
安永の次が天明(1781-1789)その次が寛政(1789-1801)であり、寛政2年(1790年)に蔵元・萬屋醸造店が創業されました。

日本酒というものは、こういう歴史と文化とを背負っているのです。
日本酒の酒銘には、こういう伝統芸能や日本文化に根ざした名乗りが多々ありまして、「日本酒は日本文化の華である」という当サイトの主旨をご納得いただけることでしょう。

春鶯囀と与謝野晶子

酒銘「春鶯囀」と与謝野晶子の関係について述べておかねばなりません。

与謝野晶子が蔵元を訪ねた際に「春鶯囀」を読み込んだ歌を残しております。

 法隆寺などゆく如し 甲斐の御酒(みき) 春鶯囀のかもさるゝ蔵
 (与謝野晶子)

この歌に感激した蔵元が、それまでの酒銘「一力」を「春鶯囀」と改名したということを、現在の蔵元(中込元一郎氏)ご自身が、自社のサイトで述べておられる(下記)。

 与謝野夫妻は・・・増穂村の中込家(萬屋醸造店)に宿泊、この旅(度を改めた)で多くの歌を詠み、その中の一首「法隆寺などゆく如し 甲斐の御酒(みき) 春鶯囀のかもさるゝ蔵」に当主旻は深く感銘し、酒銘を「春鶯囀」へと改め、現在に至っております。
(萬屋醸造店の歴史(http://www.shunnoten.co.jp/history)より

しかし、この表現には納得しかねます。
半分正解、半分不正解でしょう。(蔵元、ご無礼ご容赦を。)

・半分正解:「一力正宗」を「春鶯囀」と改名した。
・半分不正解:酒銘「春鶯囀」が与謝野晶子によって命名されたという誤解をもたらした。

この半分不正解の結果、ネット上では与謝野晶子が酒銘「春鶯囀」の命名者であるという説が広く流布されてしまった。
どのサイトを見ても、与謝野晶子命名説ばっかりです。
これは違うでしょう。歌の意味を考えれば分かる筈なんですがね。

「春鶯囀」という酒銘が存在しない時に、与謝野晶子が「春鶯囀のかもさるる蔵」と詠む訳はありませんでしょう。
先ず「春鶯囀」という酒銘が存在して、後から与謝野晶子がそこを訪れ、「春鶯囀」という酒銘の雅びなる響きに感動して「春鶯囀のかもさるる蔵」と詠んだと見るのが至極妥当でありましょう。

これを確かめるべく、蔵元・萬屋醸造店へ電話しました。
大奥様(蔵元のお母様、中込菊子刀自)が対応して下さり、大奥様がおっしゃるには、やはり「春鶯囀」という酒銘が先で後から与謝野晶子の歌が作られたとのこと。

ほら、やっぱり。
私は大奥様の説に納得しました。

後日、大奥様から水茎の跡も清々しい書簡を頂戴しましたが、そこにも与謝野晶子が蔵元宅へ投宿した際には、既に「春鶯囀」という酒銘が存在したと思われるとありました。

そのことはまた、与謝野晶子の歌の歌意をくみ取れば深く納得されます。

「法隆寺などゆく如し 甲斐の御酒(みき) 春鶯囀のかもさるゝ蔵」

この歌は、甲斐の国を旅した際に詠まれたのですが、にもかかわらず「法隆寺などゆく如し」と冒頭に詠っているのです。
つまり、甲斐の国を旅しているのに、まるで大和の国の法隆寺あたりを旅しているようだというのです。

この歌は、雅楽「春鶯囀」(しゅんのうでん)と法隆寺の知識がないと解釈できません。
大和の国全体が、古趣あふれる国でありますが、とりわけ法隆寺は、四天王寺とともに今に到るまで毎年雅楽の奉納が行われております。
晶子は当然それを承知していて、雅楽「春鶯囀」の存在も知っていたことでしょう。そこで、甲斐の国で思いがけなく日本酒「春鶯囀」に出会い、雅楽「春鶯囀」を想い出し、その酒銘の雅び心を讃えて「法隆寺などゆく如し 甲斐の御酒(みき) 」と詠んだのでしょう。

つまり「春鶯囀」は、「秋なのに春ウグイスみたい」であり、「甲斐なのに、大和の国みたい」であると晶子は感じいったのでしょう。
(大奥様ご恵送の資料には、与謝野夫妻が中込家に投宿したのは昭和8年10月22日とある。やはり、秋たけなわの頃、つまり「秋なのに春ウグイスみたい」だ。)

これで大奥様の説明と与謝野晶子の歌とが、すっきりと納得されます。

でも蔵元(中込元一郎氏)は、与謝野晶子が命名したとも受け取れるような説をサイトで述べていらっしゃる。

どちらが本当か、よく分からん。
分からないのが、またよろしい。

英雄ヒーローともなると、白黒付けがたい逸話の二つ三つはあるものです。
雅楽「春鶯囀」は太宗が作ったのか、高宗がつくったのか、よく分からないのと同様、酒銘「春鶯囀」の由来は、夢幻の霧の彼方にあるようです。
伝説の二つや三つは、あってもよろしいではありませんか。

まあ、大奥様の書簡にあるとおり、「春鶯囀」と「一力正宗」という酒銘が存在したところへ、与謝野晶子の歌が現れ、それを機に「一力正宗」をも「春鶯囀」という酒銘に統合したというのが、真実に一番近いのであろうと思います。
つまり、「改名」ではなく、「統合」です。もとからあった「春鶯囀」という酒銘に、他の酒銘をも「統合」したのです。

私が少々これに拘るのは、酒銘「春鶯囀」の命名は、与謝野晶子ではなく、蔵元・中込家のご先祖の徳分によるものであると申し上げたいからです。

まことに蔵元・中込家は、歴史と伝統のある日本酒の蔵元家の中でも、文学・芸術への理解という点では一際光彩を放っておられる名家であります。
文人墨客との交流も深く、与謝野鉄幹・晶子が宿泊した離れを、現在は酒造ギャラリー「六斎」として公開しておられます。

そういうお家のご先祖が、屋号「萬屋」の「万」の字を分解して「一力」とし、「一力正宗」の酒銘を作り、中込家伝統の古雅を尊ぶ心から「春鶯囀」という酒銘をも作られた。
その古雅を尊ぶ心に感応した与謝野晶子が「春鶯囀のかもさるる蔵」と詠み上げた。
それを機にして、「一力正宗」をも「春鶯囀」に統合した。

ネット上に散見される「春鶯囀」与謝野晶子命名説は、小生は大奥様(中込菊子刀自)とともにこれを採らず、中込家ご先祖にこそ「春鶯囀」命名の栄誉は保持されねばならないと考えます。

まあ、酒呑みは、細かいことは気にせずに、「春鶯囀」を呑めばよろしい。
小生思うに、蔵元・中込元一郎氏も「春鶯囀」をしこたま聞こし召して、甚だ心もちよろしき様にて、与謝野晶子命名説だろうが何だろうが一向かまわず大らかに宣(のたま)い遊ばしたのではなかろうか。それをそのままサイトに掲載したのではなかろうか。酒呑みはそれでよろしい。(呵々大笑)

大奥様しらふのご説明とは食い違いの感があるのもやむなしでありましょう。
酒呑みはそれでよろしい、ウグイスが囀ればそれでよろしいのです。(呵々)

「聞き做す」ことの極致が「春鶯囀」

「聞き做す」(ききなす)という言葉があります。
ものごとを聞いているうちに、それを自分の意識でそれと見なして聞き取るということです。

「与謝野晶子命名説」に限らず、どのような説も、繰り返し聞くうちに「聞き做す」ということがなされてもおかしくはありません。

また鳥の声なども「聞き做す」となかなかに面白いものです。

例えばブッポウソウなども「聞き做す」ことの好例です。
夜間の森で「ブッポウソウ」と鳴く鳥がいて、これを「仏法僧」の三宝と「聞き做し」て、仏道に志す感心な鳥「ブッポウソウ」と名付けられました。
ところが、実はこの鳥、後に「ゲッゲッゲッ」と汚く濁った音しか出さないと判明しました。

真実「ブッポウソウ」と無く鳥は、コノハズクでありました。

また鶯の鳴き声「ホーホケキョ」も「法、法華経」と「聞き做す」と、法華経信者ならずとも感心この上ない鳥であると思えます。

「法、法華経」と「聞き做す」心を更に深めると、次の歌の心境となるでしょう。

 酒呑めば おのづ心も春めきて 借金とりもうぐひすの声

これは「狂歌」の傑作でありますが、私はこれを「狂歌」とは呼びたくありません。
借金とりという鳥の声をウグイスの声と聞き做すなどは、よほどの心境でなければ叶わないことでしょう。
この歌は「心頭を滅却すれば火もまた涼し(『杜荀鶴』 )」にも比すべき「道歌」ではありませんか。

「借金とりもうぐひすの声」という「道歌」の心境を、何らの修行もせずして己のものとすることができるのが、日本酒「春鶯囀」の力です。

日本全国の酒呑みの友たちよ、「春鶯囀」(しゅんのうてん)で大いにその心境を深め給はんことを!

それにしても、酒銘遊びする私にとって、「春鶯囀」(しゅんのうてん)ほど楽しませてくれた酒銘もめずらしい。

「春鶯囀」さん、ありがとう!

(蔵元、ご無礼ご容赦を。大奥様、ありがとうございました。)



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