武士道(新渡戸稲造)から日本語アップダウン構造へ

 この記事は、過去のメルマガのバックナンバーです。メルマガにおける表現を、そのまま転載していることをご承知おき下さい。「アップダウン構造」という魔法のようなキーワードを使って、日本を丸ごと解明して行きます。 
 目次(武士道(新渡戸稲造)から日本語アップダウン構造へ)
  1. 武士道(新渡戸稲造)から日本語アップダウン構造へ
   1-1. 武士道(新渡戸稲造著)が話題になっている
   1-2. 新渡戸稲造が『武士道』を英文で著した訳
   1-3. 武士道は日本人の心に流れている
   1-4. 武士道に代わる日本精神のバックボーンは日本語
  2.日本語という道徳規範
   2-1. 外来文物の日本的改変
   2-2. 日本人の宗教の特殊性
   2-3. 日本語には「宗教」が内蔵されている
  3.編集余録

1. 武士道(新渡戸稲造)から日本語アップダウン構造へ

1-1. 武士道(新渡戸稲造著)が話題になっている

 『武士道』(新渡戸稲造著)が話題になっています。
 新渡戸稲造博士が英文原著 “Bushido: The Soul of Japan"を出版したのは1900年(明治33年)のことでした。
 矢内原忠雄氏の翻訳『武士道』(岩波文庫)が出てほぼ半世紀になり、今では数種類の現代語訳『武士道』が出ています。
 映画「ラストサムライ」が大ヒットしたこともあり、日本人の凛とした生き方を懐かしむ心情も手伝って、『武士道』が注目されているのでしょう。

 今回は、武士道と日本語アップダウン構造との関係を考えてみましょう。

1-2. 新渡戸稲造が『武士道』を英文で著した訳

 新渡戸稲造が『武士道』を英文で著したのには訳があります。

 『武士道』を著す10年ほど前、新渡戸稲造はベルギーの法学者ラブレーの自宅で数日を過ごしていました。
 ある日散歩の途中でラブレー氏が新渡戸稲造博士に尋ねました。
 「あなたのお国の学校には宗教教育が無いのですか?」

 新渡戸稲造が「無い」と答えると、ラブレーは驚いて立ち止まり、何度も繰り返したのです。

  宗教が無い!
  それではどのようにして道徳教育を授けるのですか?

 ラブレー氏の西洋ショートカット的倫理觀においては、目に見える形でショートカット的に道徳教育を行わない限り国民の道徳意識を醸成することは出来ないと考えるのは当然でした。

 アップダウン構造を知らぬ新渡戸稲造が、ラブレーの問いかけに明確に答えることが出来なかったのも、また当然でした。

 日本を愛する新渡戸稲造にとっては、これは大問題でした。
 日本人には精神的バックボーンが無いのかと、西洋人に問いかけられて、答えられなかったのです。

 その後10年を、新渡戸稲造は悶々と過ごしたであろうと思います。

(新渡戸稲造の心のつぶやき)
  日本の道徳教育の不備 ・・・と西洋人は言う。
  いや、日本人の道徳意識は極めて高い筈だ・・・。
  その道徳意識の根幹にあるのは何か?
  日本人の精神的バックボーンは、何か?

 十年にわたるこの心の葛藤を経て、新渡戸稲造は、日本人の道徳意識の根幹をなしているのは武士道であると気付き、そのことを西洋人に知らしめるために英文『武士道』を著したのです。

『武士道』は英文によって西洋世界に発せられた日本人の弁明でした。
宗教無しで道徳教育はあり得るのかとの西洋人の問いかけに対して、日本人にも精神的バックボーンはあり、それが武士道であることを、この書は西洋世界に投げ返したのです。
(拙著『日本語は神である』 P.254)

1-3. 武士道は日本人の心に流れている

 武士道は紛れもなく日本人の心が作り出したものであり、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠、という徳目は、今の日本人にとっても心の奥底で光っているはずです。
 そして、そういう徳目が崩れかかっているが故に、大方の日本人はそれを懐かしみ、取り戻したいと考えているようです。

 それが『武士道』ブームに火を付けているのでしょう。
 また、映画「ラスト・サムライ」などがもてはやされるワケでもあります。

 武士道精神を貴んだのは武士だけではありませんでした。
 士農工商という身分制度があった時代にも、武士道精神は農民、工人、商人にも感化を及ぼしていました。

 新渡戸稲造が『武士道』で述べているように、百姓たちはいろりを囲んで、義経を助ける弁慶の忠義物語りや、曾我兄弟の忍苦に耐える物語に興じたり、番頭や丁稚たちが信長や秀吉の物語りを楽しんでいたのです。
 また、赤穂浪士の討ち入り後には、江戸市中で町人たちの敵討ちがいくつもあったとか。

 崩れかかっているとはいえ、武士道精神は今も日本人の心の奥底で生きていると思います。

1-4. 武士道に代わる日本精神のバックボーンは日本語

 しかし、士農工商という身分制度が無くなった今、武士道をして21世紀の日本人の道徳規範とするのには、すこし無理があります。

 では、21世紀日本人の心の規範として、武士道に代わるものはあるのでしょうか。
 それを日本人が自覚して、世界に向かって公言するも恥じないという日本精神の規範は、果たしてあるのでしょうか。

 あります!
 21世紀日本人の心の規範とは、日本語アップダウン構造であります。

 今も昔も、日本人は日本語を使い続けて来ました。
 言語は即ち意識です。
 言語を用いずして意識を働かせることはできません。
 日本語とは、即ち日本精神であるのです。

 その日本語がアップダウン構造をしており、アップダウン構造の奥に大いなる存在、神、宇宙法則がかくされているのです。

 そういう日本語を使う日本人の心に、知らず知らずのうちに、大いなる存在、神、宇宙法則に対する畏敬の念が育まれるのは至極当然のことです。

  日本語の真相;アップダウン構造の奥に神が隠されている

 その日本語アップダウン感覚、それこそが、もっとも深い意味で日本人の精神のバックボーンとなっているのです。
 そのバックボーンに支えられて咲いた花一輪が、武士道であると言えます。

 日本語のアップダウン構造が明確になった今、武士道精神を更に昇華して、日本語アップダウン意識をこそ、これからの日本人の心の規範として掲げるべきでしょう。

 それをこそ、日本人が何よりも誇るべき日本精神の精髄であるとして西洋世界にも打ち出して行くべきでしょう。

2.日本語という道徳規範

2-1. 外来文物の日本的改変

 地球上に数多の民族がありますが、何らかの意味で「宗教」を持たない民族は皆無であると思われます。その「宗教」が民族の道徳規範として働いているのです。

 日本古来の「宗教」として神道がありますが、これがどうにも「宗教」の概念に当てはめにくいのです。つまり、宗教の3大要素である、教祖、教典、戒律が、神道には無い、あるいは他宗教に見られるほどに明確ではないのです。

 およそ1500年の昔に仏教が渡来してこの国に根付き、神道と共に日本人の心を培って来ました。この日本仏教は、もはやインドに発した仏教ではなく、日本独自の仏教なのです。日本人の心(アップダウン意識)が育て上げた仏教なのです。

 同様に、西洋ショートカット意識の産物たるフランス自然主義文学が日本に入ってくると、日本人のアップダウン意識によって日本的変容を遂げました。「日本独特の自然主義文学」と化けてしまったのです。
 (『日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造』 P.113 以下の「日本独特の自然主義文学」を参照して下さい。)

2-2. 日本人の宗教の特殊性

 新渡戸稲造の時代(幕末、明治)にも、神道があり仏教がありました。
しかし、その「宗教」としてのあり方は、西洋一神教の宗教規範とは全く違ったものでした。
 だからこそ、「お国に宗教教育は無いのか?」とのベルギー人ラブレーの問いかけに、新渡戸稲造は答えることが出来なかったのです。

 その後10年,恐らくは悶々たる葛藤を経てようやく、新渡戸稲造は、それが武士道であると答えたのでした。

 既にアップダウン構造をご存知の読者の皆さんであれば、新渡戸稲造博士よりも更に深く、日本人の心の規範について述べられる筈ですね。

 宗教というものは、目に見えない世界の光明をこの世にもたらすためのものです。
 西洋人の宗教信仰は、そのショートカット意識を用いて明確に神を意識し、明確に言葉に表し、明確に信仰態度として定立します。
 逆に西洋人が無宗教の立場をとる際には、徹底的に無宗教の立場を取ります。中途半端はありえないのです。

       ショートカット的宗教信仰

           信じる
      (私) →→→→→ (神)  [表面意識]
           信じない
     (信じるか、信じないか、はっきりと自覚)

 ところが、日本人の宗教意識は実にあいまいです。

 正月には日本人の大多数が初詣に出かけます。
 では、神社参拝を終えた人にマイクを突きつけて、「あなたは本当に神の存在を信じているのですか」と聞いてみてください。

 まず一般的日本人であれば、「いやあ、そこまでは・・・」とか何とか言って言葉を濁すはずです。

 参拝をするときには、アップダウン構造の奥がこちらの表面意識に響いていますので、ためらいもなく参拝をします。
 マイクを突きつけられて質問されると、ショートカット意識の世界に戻ってしまいます。
 平均的日本人がショートカット意識の論理の世界で神の存在を明確に信じている訳ではないのです。

アップダウン的には信じている。→ 参拝する。
ショートカット的には信じていない。→ 信じていると明言できない。

 ともあれ、こういう日本人のあり方が、西洋人にとっては曖昧な態度と映るかも知れませんが、実は素晴らしいと思うのです。

2-3. 日本語には「宗教」が内蔵されている

 日本語アップダウン構造は無意識のうちに目に見えない世界とつながっていますので、無意識のうちに目に見えない世界からの光明が流れて来るのです。

 つまり、日本語には「宗教」が内蔵されているのです。

 日本語を使う日本人にとって、ことさらに「宗教」を立てる必要はないのです。
 日本語が日本人の「宗教」なのです。しかも、「無意識の」の宗教なのです。

 西洋人は、言語の中に宗教が内蔵されていませんので、言語とは別に宗教を定立しなければならないのです。
 しかし、日本人は日本語の中に神が内蔵されていますので、ことさらに宗教を定立する必要がないのです。

 日本人が日本語という道徳規範を与えられていることは、真に有り難いことです。
 日本人がこれほど宗教的精神に満ちていながら、宗教紛争に煩わされない大らかさを保っているのは、日本語アップダウン構造のお陰であります。

 日本語という、いわば無形の道徳規範を持つ日本人こそ、地球上の宗教紛争を調停する最良の立場を取っていると言えるでしょう。

━━━━━━━━━━参考文献━━━━━━━━━━━━━━
・"Bushido: The Soul of Japan" Inazo Nitobe著、Tuttle
・『武士道』新渡戸稲造(著)、矢内原忠雄(訳)、岩波文庫
・『武士道』新渡戸稲造(著)、奈良本辰也(訳)、三笠書房
・『武士道』Bilingual books、新渡戸稲造(著),須知徳平、講談社インター
ナショナル
・『「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは』李登輝(著),小学館
・『武士道―いま、拠って立つべき“日本の精神”』新渡戸稲造(著), PHP
・『日本町人国家論』天谷直弘(著)PHP文庫
『日本語は神である・日本精神と日本文化のアップダウン構造』昌原容成(著)、トランスペース出版

3.編集余録

●昌原筆録【2】水無月(水有る月)にナの言霊の力を想う をアップしました。
 ウエブで水無月の意味を調べてみると、皆さん「無」の解釈に困っているようですね。
 仕方がないので、「ナ」とは「の」の転じたものであって、水無月とは本来「水の月」であると説明しています。

 これは、いけません。「ナ」の言霊の力が、消し飛んでしまいます。
 水無月はナに意味があるのです。「水の月」で済ませてしまっては、水無月のナの言霊が死んでしまいます。

 → 昌原筆録【2】水無月(水有る月)にナの言霊の力を想う

●参考文献に挙げた『日本町人国家論』は、本号で述べる積もりであったのですが、別に稿を設けることにします。

 サワリを申しますと、町人国か武士国かという発想を根底から改めて、日本語アップダウン構造を与えられている日本民族の特性を思うならば、日本は床の間国家(祭祀民族)であると思うのです。

 いずれこのメルマガで論じます。

●日本で生まれ、日本語を身につけていくうちに、子供たちは毛穴から日本語という道徳規範を吸い込みます。それが日本人の国民性を作っているのです。

 ところが、最近の子供たちに、日本人らしさが薄れつつあるように思われます。 

 子供たちに日本のすばらしさを毛穴から吸い込んで欲しいと願って絵本を作りました。
 誕生日をプレゼントおねだり日だと勘違いせずに、両親と産土の神に感謝申し上げる日にしましょうと子供たちに訴える絵本です。

 → 子育て絵本で子供に誕生日の本当の意味を教える

 また、親子で学ぶ神道読本では、親孝行が神祭りにつながる基本の基本であることを、子供にも分かるようにやさしく解説しました。
 →親子で学ぶ神道読本(一)父と母と産土の神
 この書は、子どもたちへのプレゼントとして最適かと存じます。
 子どものプレゼントに最適と言いながら、実は大人のあなたたちに学んで戴きたいことを、しっかりと書いています。親子そろって学んで下さいませ。