神宝とは生き生きと働くもの

「肉体は天地の精妙体である」と申し上げた。また、「肉体は神宝である」とも。
 → 膝(ヒザ)は霊座(ヒザ)
神宝というものは、とても貴重なものであるが、白布に包んで蔵の奥にしまい込んでおくものではない。
神宝は、今、生々として生きて働くべきものである。

明治の頃に、アーノルド・フェノロサが来日して、岡倉天心とともに奈良・法隆寺の宝物殿を開けた。寺の僧たちは、宝物殿を開けると祟りがもたらされると信じていたので、天心たちが扉を開けると、祟りを恐れて逃げ去った。
こうして、秘仏として白布でぐるぐる巻きにされていた「救世(ぐぜ)観音」が、日の目を見るように成った。その白布、長さが40数メートルにも及ぶものであったとか。

神宝というものは、とても貴重なものである。しかし、それを白布でぐるぐる巻きにして蔵にしまっておくようなものではない。神宝をしまいこんでどうするのですか。それは、今、生々として生きて働くものである。

私も、いくつかの神宝を所有している。
石笛(いわぶえ)、美剣(みつるぎ)、美鈴(みすず)、鎮魂神宝、言霊神宝、風速(かざはや)の神扇、その他いろいろな神宝を所有している。これらはみな、生きて働くから神宝としての値打ちがある。

数ある神宝の中で、最上の神宝は、己の肉体であろう。
神祭りする者にとって、己の肉体こそが、最上の神宝である。そのために、肉体をして神祭りの神宝たり得るように保持調整し続けなければならない。食事に気を配り、禊ぎ鎮魂に励み、生活全般のリズムが神律に乗るように調えていくのである。

神宝・肉体を以て神前に端座し、合掌する。
合掌の中に虚空体が生まれる。
合掌の神秘については、下記の記事を参照されたい。

→ 合掌の中に虚空界が現れる