中須隆天先生の思い出(若き日の神道修行)

 学生時代は合気道一色の生活でありました。よく言うのですが、私は理学部物理学科の卒業ではなく、合気道部物理学科の卒業であると。

卒業後には仙道そして神道への道を歩むことになるのですが、武道が私の人生から消え去ることはありませんでした。合氣の道は、私の人生の中心軸に練り込まれているのです。

 卒業後に道を求めてあちこちをうろついていた頃、中須隆天先生に巡り会いました。先生の思い出をここに記して私の備忘録とします。

 三十前後の頃、私は極端な食養生活をしておりました。たびたび断食を繰り返していましたので、目つき鋭く髭を生やした姿は、少し常人の姿からはみ出ていたようで、骨董店に入って品物を手にとって観ていると、店の主人から「同業の方ですか」と声を掛けられたこともありました。

 その頃あてもなくよく奈良の奥地をドライブしたものです。ある時、宇陀郡の大宇陀町をドライブしていた時、丘の上に茅葺きの家が眼に止まり、引き付けられるようにその茅葺き家を目指しました。着いてみると、それは人家ではなく「天益寺(てんやくじ)」という真言宗のお寺でした。

 庫裏(くり)に声を掛けて水道の水を飲む許しを得て、本堂へ向かい参拝を済ませました。終わって帰ろうとすると、庫裏から出て来た婦人から声を掛けられました。
 それが中須隆天先生でした。

 天益寺は真言宗のお寺であり、隆天先生は高野山の蓮華定院で得度されたのですが、真言宗は両部神道の宗派ですので、髪の毛は切らず長く伸ばしておられました。私の目つきがよほど鋭かったと見えて、なにやら修行をする身であろうと推測されてのお声がかりでした。

 それがご縁で、しばしば天益寺に通うようになり、いつ知らず私は隆天先生の弟子のようになりました。先生の言われるままに、修行、修行の日々が始まったのです。



 最初に連れて行かれたのは、大阪府交野市にあり、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)を祭る磐船(いわふね)神社でした。そこの滝で初めて滝に打たれました。

そして拝殿で深夜0時からただ座るという行を随分繰り返しました。今から思えば、隆天先生から鎮魂についての作法を伝授されたわけではなく、ただ座りなさいという指示に従っただけのこと。隆天先生も鎮魂についてはあまりご存知なかったように思えます。

 後に日垣宮主師について鎮魂伝授を受けた立場から申し上げると、それは神道修行というような代物ではありませんでした。
 それはともかく、隆天先生は、私とさまざまな神社に縁を結んでいただいたということで感謝しております。

 磐船(いわふね)神社の深夜の行が終わると、次に東大阪市の石切神社での行を指示されました。
それも一定期間を経て、次には奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮での行を指示されました。

先の宮司の許可を得て、本殿の向かって右手にある宿泊所で止めていただき、深夜の拝殿で座るのです。終わって仮眠を取った後、夜明けごろに宿泊所を出て帰るのでした。

 そういう、まあ修行とも云えぬ修行の際に、私が必ず持参するものは、合氣修行で用いた木刀でした。どちらの行場においても、座ったあとで必ず木刀を振ることを私自身の慣わしとしていました。

 石上神宮の神気は、格別さわやかで深々として、朝靄の中、木刀を下げて朱塗りの門をくぐる様は、遙か昔の時代へ引き戻されたような感覚を覚えたものでした。

 石上神宮での鎮魂とも云えぬ鎮魂行がある期間終わると、次に岡山の木野山神社奥宮での行を指示されました。木野山神社の背後の山は、徒歩一時間ほどで登れるのですが、その頂上に無人の奥宮がありました。その奥宮で毎月3泊4日の断食参籠をするのです。

 木野山神社奥宮の断食参籠は、一年半ほど続いたでしょうか。
 とうとう私の中で、この修行法は、私にはそぐわないという想いが募り、隆天先生と袂を分かつことになりました。隆天先生は、私を霊能者に仕立て上げたかったようですが、私はそれを正しい道とは思えなかったのです。

そういう訳で、私は隆天先生から破門されました。如何なる過去世のつながりあってのことか、そういう道を通らざるを得なかったのでしょうが、私から隆天先生の元を去ったのではなく、隆天先生から破門を言い渡されたことで、過去世の因縁は消えたと喜んだものでした。

 そういう経緯はありましたが、隆天先生には石上神宮との縁を結んでいただいたことが、今も何よりもありがたく思っています。

 その後、隆天先生帰天のことを風の便りで聞きましたが、夢の中で隆天先生がにっこりと微笑んで下さったことも、私にとって救いでありました。

 天益寺はその後、1999年1月31日に放火にあい、本堂・大威徳堂・倉庫の三棟が全焼、本尊の薬師如来も全焼し、今の住職が再建に向かって尽力しておられるとか。
 本堂裏手の隆天先生の墓がどうなっているのか、今年の春は墓参りに出掛けてみようかしらと思っています。

 隆天先生の修行観には根底で同意はできないものの、私の青年の一時期を導いて下さりいくつかの神社に縁を結んでくださったことは、今も感謝申し上げております。

 そうそう、当時天益寺で出しておられた「天益茶」が、今も手にはいるのかどうかも知りたいものです。
 中須隆天先生、ありがとうございました。

 中須隆天(俗名:中須キサエ)
 法名:大法師隆天不生 
 命日:昭和60年(1985年)3月6日(行年六十七才)
 墓地:天益寺 奈良県宇陀市大宇陀町字迫間三六六

神道は、日本人の大らかな心の道です。神道を学んでみたいとお考えになりましたなら、下記の書物をお読み下さい。神道を学ぶ初めの第一歩は、「父と母と産土の神」です。 これをすっ飛ばして神道を追い求めても、実りは得られません。
日本神道の初めの一歩は父と母と産土神
親子で学ぶ神道読本(一)父と母と産土の神
(小学生でも読めるようにルビを振り、やさしく解説。)


気ゆる日記(神道・日本語・日本文化)

日本語の精髄アップダウン構造


スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加