道着・衣服の力と倭文(しずり)の神

合気道着
合気道着
武道修練で道着に着替える。この道着に道着の力がある。
路上での合氣等の稽古には、この道着の力に随分とお世話になっている。

路上で合気道の稽古をする際には、通行人や通行車に気を配ることは勿論である。
例えば、杖の6動作を1セットとして100回繰り返す。その各セットに必ず後ろを振り返る一瞬を入れる。

遠くから人が近づいてくると、後ろを確り振り反って、あなたが近づいているということは承知していますよと合図を送る。間近に迫ってきたら杖を収めてその人をやり過ごす。

こうして通行人の妨げにならないように、最大限の配慮をしている。
杖木刀を振り回していても、通行人は別段の危惧を感ずること無く近寄ってきて、会釈して通り過ぎてゆく。
前後に絶えず気を配っているというアピールとともに、道着を着用しているということが通行人に安心感を与えているようだ。

これがもし、道着に着替えずに不断の服装で杖木刀を振り回していたとしたら、物騒な事件も多いご時世であるので、通行人は甚だしく危惧を感ずるに違いない。挙動不審者が杖木刀を振り回していると警察に通報されても仕方が無い。
これまでそのような通報をされたことは一度も無い。
逆に、近所に住む正真正銘の挙動不審者が、私の稽古を見て、我が家の前を通り過ぎる際には少しばかり遠慮を示しているようにも見受けられる。

白衣に黒帯を締めて、道場稽古では袴を着用するが、路上稽古では袴を着けずにする事が多い。
道着を着用して杖木刀を振り回しているから、それを見る人は、あれは武道の稽古だと見て安心する。
これは道着の力である。

衣服に衣服の力がある。
きりりとした衣服を着用すると、その衣服の力によって、人間がきりりとする。
着物を着た女性たちが、何と美しく見えることか。着物の力はまことに大きい。

逆に、よれよれのしわくちゃの汚れた衣服を着用すると、人間の気が衣服に吸われて人間の力が充分に発揮できない。
馬子にも衣装とはよく言ったものである。

斎服・昌原容成
トランスペース創立祭(檜原神社)
トランスペース研究所の創立祭(平成3年10月10日)を檜原神社でお仕えした際に、初めて斎服(さいふく)を着用した。

参加者は、私にではなく、私の斎服の、神々しさに打たれて創立祭は荘厳に執り行われた。
二十年ばかり前のつなたい祝詞、つたない祭り手振りであったが、斎服の力によって、何とか形がついたように思う。
この斎服は、その後二十二年間、タンスにしまったままである。将来の吾が人生における一大祭祀の数々には着用するつもりである。

道着の力、衣服の力は、まことに大きいものがある。
衣服の神を倭文(しずり)の神と申し上げる。
衣服を、取り分け神修の衣服や武道稽古の道着を新調したり、洗濯したりした際には、倭文(しずり)の神にお願いして神気をこめていただくとよい。