浅田真央ちゃんの演技を、織田信成くんが涙の解説、そのわけは

織田信成よ泣くな、と叱りつけた私が胸が詰まって・・・いかん

 ソチ・オリンピックのフィギュアにおける浅田真央ちゃんの演技に日本中が「もらい泣き」したという記事を書いた。
 →浅田真央ちゃんの涙がようーく分かる、よく分かる
 今日(2014/02/21)の関西テレビ「アンカー」という番組で、元フィギュアスケート選手の織田信成くんが浅田真央ちゃんのあの演技を解説しようとして、ボロボロと涙をこぼした。

 これ信成よ泣くな、としかり付けた私が、なにやら胸がつまって・・・いかん。

 そこで、織田信成くんが真央ちゃんの演技を想いだして何故あんなにぼろぼろと涙をこぼしたのか、そのわけを深あーいところから解説する記事を書いておこう。
 織田信成くんばかりではない、ソチのフィギュア会場にいた日本人たちがみな真央ちゃんの演技に涙して、トイレが化粧を直す日本女性であふれかえった。

またマスコミが反日感情のみを喜んで取り上げる中国や韓国であるが、そのネット界にも、真央ちゃんの演技に感動したという書き込みが多数掲載されている。

 これはどういうわけか。
 真央ちゃんの涙に「もらい泣き」と記したが、実はここには「もらい泣き」では表現し尽くされない真実が隠されているのである。

荘厳なるヒマラヤの山容に接してボロボロと涙を

 10数年前のこと、私は日垣宮主(ひがき・みやぬし)師のお供をしてヒマラヤ神修に出掛けたことがあった。彼の地における神祭りをすべて終了して、一日、観光遊覧飛行ということで、機上からヒマラヤ山の勇姿を拝見するということになった。

 飛行機の窓からヒマラヤの山脈(やまなみ)を拝見して、私の両眼からぼろぼろと涙がこぼれ落ちたのだ。山の姿を見ただけですよ、山の姿を。
 その荘厳なるヒマラヤの山容に接して、想いも掛けずに私はぼろぼろと涙を流したのです。

 人間というのは、真実、荘厳なるものを目にすると涙が出るものなのだと、その時48才の私は初めて知りました。
 ヒマラヤの山は、「勇姿」などというものではない。「荘厳」でありました。オゴソカでありました。厳然として人を寄せ付けぬ厳しさはこの上なく厳しく、厳(おごそか)かなることこの上もない姿に接して、48才の私は、ぼろぼろと涙を流したのです。

 人間というのは、そういうものだ。
 おごそかなるものに接した時、自ずと涙がこぼれ出るのが人間だ。

 浅田真央ちゃんの演技は、前日の転倒のせいでメダル争いから外れてしまった。それでよい。それがよいのです。あの演技は、メダル争いというレベルを越えてしまっていたのです。

世界中の女子選手でただ一人「トリプルアクセル」をすべて完璧にこなし、メダル争いからは飛び抜けて、ただただフィギュアの舞を舞う。舞自体が舞を舞うというその姿、その荘厳なる姿に打たれて、織田信成くんは涙したのである。

日本中のお母さんたち、お父さんたち、青年少女たちも、今回の真央ちゃんの演技には涙、涙、の涙しかなかった。それは「もらい泣き」というレベルを超えて、真央ちゃんの荘厳さに打たれての涙であったのです。

 真央ちゃんは、メダル争いという相対の世界を越えた、絶対の世界で演技をしたから、中国韓国の人々の心にまで感動を呼び起こしたのです。(この記事を書いている時点で、中国のツイッター検索一位が「浅田真央」とか。)

 これが、浅田真央ちゃんの演技を、織田信成くんが解説しようとして涙ぼろぼろの本当の理由であろう。そして、世界中の人々が、真央ちゃんの今回の演技に感動した理由であろう。

 織田信成くんよ、許す、泣きたいだけ泣きたまえ!

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