(4) ナンバ(なんば)歩きの勧め

1.ナンバ(なんば)歩きは昔の日本人の身のこなし

1-1. ナンバ(なんば)歩きは日本武道の身のこなし

 ナンバ(なんば)歩きとは、昔の日本人の体の進め方です。今も日本武道の体の動きは、ナンバになっています。
 
 ナンバとは、右手右足を同時に出し、左手左足を同時に出すという動きであります。
 ただ、手をむやみに振り上げるのではなく、むしろ手は振らずに、右足が出る際には右腰が出る、左足が出る際には、左腰が出るという動きが、平常時のナンバ(なんば)歩きと言えるでしょう。
 勿論、場合によっては、その動きに手の振りが加わることもあります。
 相撲取りがすり足して鉄砲を繰り出す際には、それこそ、右手と右足が同時に前に出て、左手と左足が同時に前に出るのです。

 私は学生時代に合気道の修行をしました。今も神祭りの折々に美剣(ミツルギ)を振り、木刀を振ります。
 剣を振って右肩が出る時には右足が出ます。
 左肩が出る時には左足がでます。
 この動きをナンバ(なんば)の動きというのです。
 身体を一枚の板だとすると、その板をひねらずに歩くのがナンバ歩きです。

1-2. ナンバ(なんば)歩きは日本の伝統芸能の身のこなし

 ナンバ(なんば)の動きは、武道に限らず、日本の伝統芸能一般に見られます。
 歌舞伎には、六方(ろっぽう)を踏むという所作がありまして、これはナンバ歩きをかなり大げさに表現した動きであると言えるでしょう。
 能や狂言における所作にもナンバの動きがあります。
 というよりも、基本的にナンバの動きで成り立っているのが伝統芸能の世界と言えるでしょう。

1-3. ナンバ(なんば)歩きは昔の日本人の身のこなし

 ナンバ(なんば)の動きは、日本武道や日本の伝統芸能に限らず、昔の一般の日本人全体に見られる動きであったと思われます。
 お百姓さんが鍬を振るって畑を耕すのも、ナンバの動きです。
 神官が神前で膝行(しっこう)して進むのも、ナンバの動きです。
 浮世絵に描かれている人物像を見ますと、これもナンバの動きと思われるのです。
 
 明治以前の日本人は、普段からナンバ歩きで暮らしていたと想像されるのであります。
 実証できない以上、「想像」と言わざるを得ませんが、それはかなり確実度の高い「想像」なのであります。

2.今の日本人の歩き方は西洋伝来の歩き方

2-1. 明治以降、歩き方まで「近代化」

 日本人の伝統的な身のこなしであったナンバ歩きが、明治以降の西洋の文物を取り入れて国を「近代化」するという動き波にさらわれて、すっかり流し去られてしまいました。
 明治以降、歩き方まで改変されたのです。

 今の普通の日本人は、右手を振り上げる時に、反対側の左足を踏み出し、左手を振り上げる時に、反対側の右足を踏む出す、という歩き方をしています。
 つまり、身体が一枚の板だとすると、その板をひねるようにして歩いているのです。

 これは実は、伝統的な日本人の所作にはなかった、西洋流の歩き方であるのです。
  ナンバ歩き: 身体をひねらない。
  西洋流歩き: 身体をひねる。
 身体をひねるか、ひねらないか、この違いが、ナンバ歩きと今の西洋流の歩き方のちがいであるのです。

2-2. 肉体の動かし方という文化

 今の普通の日本人の歩き方、つまり、西洋流の歩き方が、天地自然の動かさざる法則のように感じていらっしゃるかも知れませんね。
 しかし、この西洋流の歩き方が普遍的であるわけではないのです。
 それは日本人にとっては、せいぜい100年ばかりの歴史しか持たない特殊西洋的歩き方に過ぎないのです。

 明治の富国強兵策と連動して、学校教育や軍隊教育で取り入れられたのは、西洋流の行進方法でした。
 その結果、左右の手足をクロスして連携させ、身体をひねって歩くという西洋流の歩き方が、日本人の身のこなし方を改変して標準化してしまったのです。

 そうはいっても、信じられない、とお思いでしょうか。
 明治以来、西洋流の近代化路線にそって、日本人は西洋の文化を貪欲(どんよく)に取り入れました。ついでに肉体の動かし方という文化も取り入れたのです。肉体の動かし方も「文化」なのです。
 西洋流の歩き方は、西洋の文化。
 日本ナンバ歩きは、日本の文化。

 文化という物は、地域によって、民族によって、それぞれ異なる色合いを持っている物です。
 ナンバ歩きは、伝統的な日本の文化であったのです。

2-3. ナンバ(なんば)歩きが日本文化である証明

 どうしても信じられない人に、例をあげて説明しましょう。
 私は学生時代に合気道の稽古をしていました。
 2時間の稽古時間のうちに、いろいろな技を稽古するのですが、その動きはすべてナンバの動きです。
 2時間、初めから終わりまで、ナンバの動きなのです。
 そこには、西洋流の歩き方に見られる動きは出てこないのです。
 神前で玉串を捧げて膝行(しっこう)するのも、ナンバの動き。
 伝統芸能の動きもナンバの動き。
 相撲取りがすり足で鉄砲を繰り出すのもナンバの動きでしょ。
 (これはわかりやすい!)
 西洋流の身体をひねる歩き方が、万古不易(ばんこふえき)の歩き方であると思うのは、甚だ勝手な思いこみに過ぎないのです。

 どうですか、ご納得頂けましたでしょうか。

 よくテレビの時代劇で、若い歌手やタレントが、人気だけで武士の役をすることがありますね。それを見ますと、どうにも武士らしくない。武士の所作になっていないのです。
 武士には武士の所作があります。
 時代劇の中で、両手を開いて肩をすぼめて、オーノーとか何とかいいかねないような外人さんのような所作が混じり込むと、どうにもいけませんね。

 能狂言を演じているときに、ロカビリーの腰振りを入れられたら、たまりませんでしょう。
 やはり、人間の肉体の動かし方という物も、地域民族によって文化的に規定される物なのです。

3.ナンバ(なんば)歩きを勧めるわけ

 勝手な思いこみから醒めたあなた様に、このナンバ歩きを勧めるのには三つ訳がございます。
 1.ナンバ歩きは肉体を整える
 2.ナンバ歩きは精神を整える
 3.ナンバ歩きは能力(脳力)開発に資する

3-1. ナンバ歩きは肉体を整える

 第一には、ナンバ歩きは肉体を整えるということがあります。
 トランスペース研究所は、「やまと心よよみがへれ」との旗印を掲げて、失われつつある日本精神の復権を目指しております。その立場から、精神の復権と同時に日本人の肉体の正常化を計らねばならないと考えているのです。

 食生活の乱れから、最近の若者の肉体がぼろぼろに蝕(むしば)まれているという現状がありまして、心以前に肉体を正さねばならないと思うのであります。
 そして肉体の所作、身のこなしを正さねばならないと思うのあります。

3-2. ナンバ歩きは精神を整える

 第二に、ナンバ歩きは精神をも整えるであろうと思うのです。

 ナンバ歩きという日本文化は、その他の日本的なるものと同じ根っこから出た物であります。
 日本の伝統を尊び敬う心は、西洋流の歩き方よりはむしろ、ナンバ歩きする身のこなしとしっくりと溶け合って、日本の心を心身ともに表すことができると思うのです。

 西洋流の歩き方を否定するのではありません。
 一つの文化が、他の文化を否定するのは思い上がりに過ぎません。
 ロサンゼルス・オリンピックの開会式で、アメリカの乙女たちが、それも堂々たる体格の乙女たちが、胸を張って、カツ、カツ、カツと大幅に歩く姿は、実に美しい姿でした。
 それは、肉体動作の表現である以上に、アメリカ人の精神の表現でありました。

 それぞれの文化はそれぞれに尊いのです。
 ですから、日本人ならば、せめて歩き方ぐらいは、伝統的なナンバ歩きをなさってもよろしいのではありませんか。
 電車で大股を広げて、二人分を占領する傍若無人な若者たち。最近は、傍若無人な老人たちも結構多いですね。そういう心が崩れかけた日本人たちが、日本人の伝統的所作であるナンバ歩きをすることによって、少しは心が整うであろうと思うのは、はかない夢でしょうか。

 いいえ、夢ではありません。
 心と肉体とは相関関係にありますので、肉体の動きが変われば、心も変わるはずです。
 その相関関係は、極めて極めて微弱な物ではありますが、微弱なる影響も一年三百六十五日かける八十年(寿命)掛ける日本の総人口となれば、大いなる日本精神の発揚となるはずです。

 ナンバ歩きは精神をも整える、と申し上げる所以(ゆえん)です。

3-3. ナンバ歩きは能力(脳力)開発に資する

 ナンバ歩きを勧める第三の理由として、ナンバ歩きには脳を活性化する効果があるということがあります。

 あるテレビ番組で、数人の被験者に20分間ナンバ歩きをさせて、その前後で視力検査をした所、明らかにナンバ歩きの後では視力に改善が見られました。
 身体の右半分は左脳が支配し、左半分は右脳が支配していることは周知の通りです。
 西洋流の歩き方では、常に左脳と右脳を働かせ続けることになります。
 しかしナンバ歩きでは、身体をひねらずに右側全体を出す時には、主として左脳が働き、身体をひねらずに左側全体を出す時は、主として右脳が働きます。
 その切り替えのリズムが脳全体の働きを高めると推測されます。

 身体をひねって、右脳も左脳もだらだらと働き続けるよりは、一瞬ではありますが適宜交代のリズムを取る方が、結果として効率が良いのでしょう。

 このことは、山登りの経験則からも合点が行きます。
 長い山道を登る際に、疲れを少なくする方法があるのです。
 それは、左右の足を交互に踏んで登るのではなく、先ず左足を上げて登り、右足をそれにつける。
 再び左足を上げて登り、右足をそれにつける。
 つまり、左足だけで登り、右足はそれに添わせるだけにする。
 しばらく続けて、左右の足の役割を変える。

 こうすると、随分疲れ具合が違う物です。お試し下さい。
 ともかく、ナンバ歩きが能力開発に資する物であるということは、これから大いに研究されて解明されていくことでしょう。

4.ナンバ歩きを生活に取り入れる

 私は数年前から、普段の歩き方を意識してナンバ歩きに変えてみました。最初は、買い物に行くのにも武道稽古の太刀振りの心地でしたが、今では無意識のうちにナンバ歩きをしているようになりました。

 三船敏郎が素浪人姿で懐手して悠然と歩く様は、真に強そうに見えますが、あれもナンバ歩きのおかげでしょうね。一方の肩と足を同時に出す動きして、肩の振りを強調すると、肩で風を切る風情となり、それが強そうに見えるのでしょう。先ほど申し上げたように、若い歌手やタレントが人気だけで時代劇に出ると、侍にしろ町人にしろ、その身のこなしが全く見ていられません。現代人の身のこなしをそのまま時代劇に持って来られては興ざめする他ありませんね。

 実際に外でナンバ歩きをする際には、派手に手を振り上げると、周りの人から奇異に見られるかも知れません。
 この手を振り上げて行進するというのは、正に明治以来の肉体動作標準化の産物です。
 実際に歩く際には、懐手をした三船敏郎になった積もりで、手は振り上げず、目立たぬように肩を足の動きと合わせるようにするとよろしいでしょう。

 私がナンバ歩きをしていることなど、近所の誰も気付いてはいません。
 その動きが、神前での座起進退の動きに現れてきます。
 日本的身振りができるようになるのです。
 しかも脳の働きが良くなるのですから、これは自信を持って読者の皆さんにお勧めできるのです。
 ところで、ナンバ歩きの語源ですが、大阪の難波(なんば)あたりを歩くことに由来するという一説があります。
 昔、難波(なんば)のあたりは背の高い葦が茂っていて、そこを歩くのに葦を手でかき分けて進まなければならなかったとか。
 その手足の動きから、ナンバ歩きの語が生まれたというわけです。
 (ウウーン、あまり説得力が・・・。)

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