(6) 米の力と言霊の力 (サッカー韓国の勝因と日本の敗因)

1.韓国人は米をよく食べる

トッポギ
 今年(2004年)は、国際米(こめ)年。
 そこで米(こめ)の力について想うことを述べる。

 昨年秋に韓国ソウルを訪問した。
 夜の街に出てみると、あちらこちらの屋台でアガシ(女の子)たちが、トッポギという餅を立ち食いしている。(右はトッポギの写真)
 中には、たった一人で人目もはばからず立ち食いしている可愛い娘もいた。
 韓国は、儒教の国で行儀作法にはうるさく、歩き煙草をしていると、あれは行儀違反の日本人だと思われるという。その韓国で、屋台の立ち食いは国民に広く容認されているようだ。

 韓国の屋台にトッポギという餅は欠かせない。それは餅米ではなくうるち米で餅をつき、それを親指ほどの大きさに切って唐辛子みそで甘辛くからめたものである。これが実にうまい。
 それにしても、韓国人は男も女も、このトッポギをよくよく食べる。
 そこで、はたと気が付いた。米(こめ)の力にである。

2.米の力と言霊の力(韓国と日本の明暗を分ける)

 2002年夏のサッカーワールドカップで、韓国はベスト4入りを果たし、日本は数歩の遅れを取った。
 韓国の勝因は即ち日本の敗因であり、それはつまり、応援歌の言霊の力の差であるとかねて思っていた。
 それに加えて米(こめ)の力も大きく働いたのではなかろうか。
 言霊の力と米(こめ)の力が、両者の明暗を大きく分けたと思う。

2-1. 言霊の力

 まずは言霊について述べる。
 
 ソウル南大門広場を埋め尽くした1万数千人の赤シャツ応援団が、韓国チームに送る応援歌には、大地を揺るがさんばかりの迫力があった。
 オー、ピルソン、コーリヤー!
 ピルソン(必勝)はほとんど聞き取れないほどにコンパクトに凝縮されていたが、オー、コー、ヤーの母音を大きく伸ばして熱血集団が叫びあげると、まるで地響きする想いがした。
 その応援は、選手たちの身体に、その血流に、ごうごうとうなりをあげて響きあっていたと思われる。

 一方、日本の応援団はどうであったか。一所懸命応援したということは認めよう。にわかサッカーファンも含めて日本中が声援を送ったのも事実。 
 しかし、あの応援歌がいけない。
  ニッポン、チャチャチャ
 何ですか、これは。
 茶髪の姫君の茶髪頭を数えてるわけでもなかろうに。もう、気がヌケソー。
 「オーー、ピルソン、コーーリヤーー」の大地を揺るがすド迫力に対して、「ニッポン、チャチャチャ」はあまりにチャチである。これでは地響きするようなド迫力を選手に送ることは到底かなわない。

 実力伯仲の二者がぎりぎりの競り合いをする場合に、応援の力が勝敗を決するということは充分にあり得る。韓国応援歌からほとばしり出る圧倒的な言霊の力は、どれほど韓国チームを力づけたことであろうか。
 一方、日本応援団のあまりにもチャチな応援歌には、日本選手の血の球に力を注ぎこむ霊力は望むべくもなかった。
 日本語の力は母音アエイオウの五声に集約されている。
 アエイオウの言霊に秘められた力は、ここで述べる余裕はない。
 しかし、神祀りにおいて祝詞の言霊の力を駆使するという場合に、アエイオウ五音に重大なる力が秘められているということは確言しておきたい。

 もし、本当に日本チームに応援の力を添えたいと思うのであれば、応援歌は例えば、
 アーエーイーオーウーウー、ニッポン、ニッポン、オーーイーー
 とでもすればよい。日本人応援者が、全員でこの母音を叫び挙げれば、日本選手の血の中に大きなインパクトを与えられるにちがいない。
 サッカー応援団の皆さん、この点よくよく考えてみて戴きたい。

2-2. 米の力

 次に米(こめ)の力について述べる。
 人間はこれを食べて生きてゆきなさい、と神様が定められた食物が五つある。
 その神定(しんてい)の食物とは、米、麦、大豆、粟、稗(ひえ)の五穀である。

 とりわけ米(こめ)は五穀の王者であり、こめを稲(イネ)とも言うのは、イノチの(根)を意味する。
 イネ(玄米)と塩と水があれば、なんとか人間は生きて行ける。小麦のパン食では、その他の栄養を合わせて摂らなければならない。米は、やはり、食物の王者である。
 
 このように素晴らしい米であり、五穀ではあるが、地球上のすべての民族がその恩恵に浴しているとは言い難い。極北のイヌイットであれば、アザラシの生肉を食べなければ生存して行けないという事情がある。
 昔、英国の北極探検隊がビタミン不足でばたばたと倒れていったのも、英国本土での食生活を極北に持ち込んだからであった。厳しい環境で生きてゆくには、その環境にあった食生活をせざるを得ない。極北の地では、生肉でビタミンを補う必要があるのだ。

 その点、日本人であれば、本人が望むならば、神定の食物である五穀によって生きて行くことができる。米のご飯を食べて生きられるというのは、大きな恵みである。

3.日本と韓国の米の消費量の違い

3-1. 米を食べない若者の体力低下

 ところが最近、その恵みに気付かず、日本人の食生活が欧米化し、更にはファーストフードや添加物、遺伝子操作の人造食物などが横行するようになった。
 同時に日本人の、とりわけ若者の体力の低下が見られるようになった。
 大体、米を食わないで、体力を保てるわけがない。
 ソウルの街で、トッポギをほおばるアガシ(娘)たちや青年たちを見ると、日本の青年たちは、先ず米(こめ)の力で既に負けているに違いないと感じられた。

3-2. 日本の米力は韓国の66%

 帰国後、統計を調べてみると、果たして私の推察通り、日韓両国の米の消費量には歴然たる差があった。
 年間一人あたり米の消費量を以下に記す。
  1960年 韓国 125.9 kg/人    日本 126.5 kg/人
  2003年 韓国 103.6 kg/人   日本  68.1 kg/人
 (鳥取大学 伊藤研究室 世界の食糧統計)
 40数年の間に、韓国でも一人あたり米の消費量は、82%に減少した。
 一方、日本は、54%に激減である。
 韓国に対する日本人一人あたり米消費量は、66%に過ぎない。
 おおざっぱに申し上げれば、
  日本人の米の力は、韓国人の66%!
 これでは米(こめ)の力が出ないはずだ。
 

4.米の力が抜けた日本人

 米の力が抜けてしまった日本人の青年男女が一万人集まって、
  「ニッポン、チャチャチャ」
 などとちゃらついたところで、トッポギを食べて唐辛子でカッカと血をたぎらせ、軍隊訓練までしている韓国の青年やアガシ(娘)たちが2000人も集まって、
  「オー、ピルソン、コーリーヤー」
 と雄叫(オタケ)び女叫(メタケ)び挙げれば、ニッポン、チャチャチャは吹き飛ばされるに違いない。2000人で充分だ。
 おまけに日本サッカーチームに茶髪頭が目立つのはどういう訳だろうか。
 髪の毛と肉体の力とは関係がないと思うのは大間違いである。
 大地に植物が豊かに生育すると、その植物が大地に精気を満たしてくれる。
 肉体という大地には体毛が生えている。この体毛が精気を充実してくれるのだ。
 その体毛に不自然なパーマや染色加工を施すことは、肉体の精気をそぐことになる。
芸能人ならば、いざ知らず。肉体の力をぎりぎりの限界まで発揮することを目標とする武道家やスポーツ選手が、己の精気をそいでしまって得々(トクトク)としているのは情けない。

 韓国人2000人は多すぎるかも知れない。
 軍隊で鍛えられた韓国青年1000人に、チャラチャラした日本の茶髪青年が1万人で太刀打ちできるかどうか。
 更に付言すれば、稲(イネ)とは五十音をも意味する。五十の鈴の川が、イスズ(五十鈴)川というように、イとは五十を意味する。ネは音(ネ)。
 稲(イネ)を神祀りの場に供えるのは、日本語五十音の言霊の力を祭りにもたらすためである。
会津産コシヒカリ
 つまり、稲(イネ)はほぼ完全な栄養食品であるばかりではなく、それなくしては神祀りに実りをもたらすことがかなわぬほどの神秘力を秘めた物実(ものざね)であるのだ。
 言霊の力と米(こめ)の力。
 その不足が、サッカーワールドカップ日本の敗因であり、裏を返せば、韓国の勝因であったと思われる。
 その不足を補うために、日本人よ、もっともっと米(こめ)を食べ給え!
 若いお父さん、お母さん、子供たとちには米をたっぷりたべさせ給え。米を喜ぶ子供に育て給え。
 そして、アエイオウ五音の力で応援せよ!